読書にはまったのは、小学生の時だ。
両親は共働きで、なおかつ妹が生まれたばかり。「お姉ちゃんだからね」。妹が来てから私の家での名前はお姉ちゃんになった。
クラスのみんなは放課後になるとドッジボールや追いかけっこをしていた。運動が苦手で友達も少なかった私にとって、学校が終わってから本を読む時間は至福のひと時だった。
ドラゴンもお城も出てこない本なのに、引き込まれていった
きっかけはたまたま手に取った分厚いファンタジーだった。今思えば居場所のない私にとって、本の中で主人公になることが唯一の支えだったのかもしれない。
火を噴くドラゴンや優しい王子様、仲間たちとの冒険。内容は思い出せなくても、その文章を頭の中で映画のように再生する間、どきどきワクワクしていたことは覚えている。
ある時、きっかけは覚えていないけれど水色の背表紙が目に入った。
白い文字で『air』(名木田恵子著)と書かれたその本の外装は、ドラゴンやお城の絵はなくてさわやかな水色にタイトルと同じ白い文字でアルファベットが並んでいる。
手に取って本を開くと行間が程よく開いているからか、文章がすらすらと自分の中に入ってきた。
女子学院に通う14歳のエアは、ひょんなことから小学5年生の時に転校していったサワコと再会する。開放的で人懐っこいサワコは自分が家出をしている話をして、エアを“シェルター”と言われるマンションの一室に連れていく。
“シェルター”にはそれぞれの事情を抱える10代の少年少女がいる。母親の再婚相手からのセクハラから逃げるサワコをはじめ、両親のいないシュースケ、覚せい剤をやめられないチヒロ。エアは親からの愛を感じられない日常から逃げるためにタイミングを見て家出を決意し、“シェルター”で過ごすようになる。
作中に出てくる覚せい剤も援助交際も幸いなことに私にとって非日常だった。しかし、それは主人公のエアも同じだ。それまで非日常だったことに気づかないうちに巻き込まれそうになる。触れ合っていく中で自分の中に新しい感情が芽生えていく。
それまでのファンタジーとは全く異なるけれど、家に自分の居場所がないと感じている境遇や年齢が近いこともあり、かなり引き込まれていたので与えられた衝撃は大きかった。
「自分は何なのか」という問いに対する自分なりの答えは
ストーリーが進むにつれて、エアとシュースケは惹かれあうようになる。
ある時、シュースケは自分の父親が何者かわからない話をする。自分の中に流れているものは何なのか。いつも他人となれ合うことなく、距離を置いていたシュースケが日々戸惑い、悩み、苦しんでいる本当の自分の姿をエアにさらけ出す。二人で一つのイヤホンを片耳だけつけてエアが好きなオペラ『私を泣かせてください』を聞いている途中、シュースケはこう告げる。
「わかったよ、オレの中に流れているもの」
「なに?」
「空、気」
自分は何なのか、どこにいて、どこに行けばいいのか。10代の頃、この本を読んだ頃と同じく明確な答えをまだ見つけることはできない。今でも時折、この答えのないこの問いかけに戸惑うことがある。
自分の中に流れているものは何なのか。今の自分なりに答えるならこうだ。
過去出会ってきた人、うれしかったこと、悲しかったこと、つらかったこと、楽しかったこと……すべてが私の中に流れている。過去のすべてが今の私を作り、未来の私につなげていく。それは人なのかもしれないし、物なのかもしれないし、状況によって占める割合も変わってくると思う。
シュースケのように「空、気(くう、き、つまりはエア)」と一言で表すことは生涯かけてもできないかもしれない。でも一言で表現できなくてもいい。きっと答えなどないのだから。