東京のとある中学校で、週に一度、図書館司書として働いている。
図書館は校舎の北側にあり、人間からすると少し寒いけれど、本にとっては日焼けせずにすむ恵まれた環境だ。読書好きな子から暇つぶしにくる子など様々な生徒が訪れ、活気にあふれている。

制服のスラックスを履く彼女は、ガニ股で颯爽と歩き、ガハハと笑う

いつものように書架の整理をしていると、扉の向こうに、学校の標準服になったばかりのスラックスを履いた女子生徒が見えた。図書館の常連の生徒で、いつも私に声をかけてくれる数少ない貴重な女の子だ。そんな彼女は、ガニ股で颯爽と歩きながら、ガハハと笑い、図書館の前を通り過ぎていく。

ああ、なんてわきまえない女なのだ、と思う。
中学生という最も異性が気になるお年頃のはずなのに、スラックスを選ぶ。可愛らしい仕草の方が色々と都合がいいはずなのに、ガニ股でガハハ笑いをする。私なら周りから浮かないように、あるいは男子ウケを考えてスカート一択だ。歩く時ももっとゆっくり小股で歩く。ガハハなんて笑わず、女子からひんしゅくを買わない程度に可愛らしく笑う。
こんな風にいつも人目を基準に生きている私にとって、彼女はもはや珍獣にしか見えない。

最近、市内の中学校では制服の見直しが進み、男子の制服、女子の制服という垣根がなくなった。制服は夏季、冬季用にそれぞれ3種類。今までの男子用のデザインと女子用のデザインのもの、そこに男女兼用のスラックスタイプのデザインが加わった。
多様性への配慮、ということらしい。とはいえ、やはり女子はスカートを選ぶ生徒がほとんどで、導入当初は学年に一人か二人、スラックスを選ぶ生徒がいるだけだった。
あれでは、スラックスを履くことで、私は性的マイノリティですと公言しているようなもので、居心地が悪いのではないかと心配していた。

スラックスを選んだ理由は「寒いから」。固いわきまえた頭がほぐれた

そんな流れが変わり始めたのが、冬服への衣替えをする季節。図書館の常連である彼女が、ある日突然スラックスを履きはじめたのだ。
見慣れない姿に、最初、どう声をかけようか戸惑ったのを覚えている。「似合うね」なんてセクハラだし、「どうしたの」なんて間違っても口にできない。この場合のわきまえている大人の一言はなんだろうと考えすぎて、結局、言い淀む。
そんなふうにごちゃごちゃと複雑に考えている私に対して、彼女が発した言葉は最高に単純だった。「寒いからこっちにしたんだ」ときた。たった、それだけ。

スラックスを選ぶ理由にその手があったのか、と衝撃を受けた。と同時に、私は私自身が、スカートの制服イコール普通の女子で、スラックスの制服イコール女子として生きたくない人のものという勝手なフィルターをかけていたことに気付かされた。
とっさに、「そっか。私もそういえばいつもスラックスだわ」と返し、私の固まった頭をほぐしてくれた彼女に、心の中でお礼を言った。

彼女はわきまえないからこそ、澱みなく真っ直ぐ。ちょっとかっこいい

こうして彼女がスラックスにしてから、まず彼女の属するグループでスラックスがメジャーな制服になった。そして、学校中で日に日にスラックス派が増え、真冬である一月の今、4分1くらいまで増えてきている。
きっと、最初の頃に寒いからとかではない理由でスラックスを選んだ生徒も、ずいぶん居心地が良くなっただろうなと思う。そして、もしそうだとしたら例のわきまえない女がわきまえない行動をしたからだろう。

彼女は、自分の知らないうちに周りの世界を塗り替えていったのだ。他人のためではなく、善意でもなく、ただ自分のためにした行動で。ガニ股歩きとガハハ笑いはやっぱり真似したくはないけれど、生き方はちょっとかっこいいじゃないか。
彼女は、わきまえないからこそ、澱みなく真っ直ぐだった。

ちなみにスラックスの潜在的なニーズだが、実際はもう少しあるように思う。それでも生徒たちが変えられない事情に関しては、心当たりがある。ここは一つ、彼女を見習ってわきまえない女になろうと思う。
「校長先生。スラックスタイプの制服のデザイン、改善の余地ありです」