日曜日、船を待っていました。
目的地は大した観光地でもない島で、その頃私はあまりに疲弊しすぎていて、何かを楽しむなんて余裕がなくて、とにかく自宅から遠い場所を目指して、島に行こうと決めたんだと思います。
目的地に向かう船が停まったので、待合室を出ると、乗客がぞろぞろと降りてきていました。私はそれをただぼーっと眺めていたのですが、その光景を、その瞬間の感情を、この先一生忘れないと思います。
特に大した名所もない島を楽しんだカップル、知り合いを見つけて嬉しそうに声をかけるおばちゃん、街で買った生活用品を重たそうに運ぶ女性、軽トラを船に乗り入れるおじさん、帽子を被った小さい子供に手を引かれる夫婦。
なんて皆幸せそうなんだろう、と驚きました。なんて穏やかで、なんて安心しきっているんだろう。私も今まではこんな顔が出来ていたんだろうか。
あまりにその光景が私の現実とかけ離れすぎていて、もやがかかったように見えたほどでした。
強烈に願いました、私もいつかもやの向こうに行きたいと。
パートナーの裏切りで限界だった私を救ったのは、仲違いしていた姉
28歳の春、20歳の時からずっと一緒に人生を歩んできたパートナーの裏切りを知りました。
世界の誰より信頼して、大好きだった人の長年の裏切りに、私は初めて我を失いました。自分の世界がものすごい音を立てて壊れていくのを感じていました。
恋愛依存体質の自分が嫌で、ソロ活に挑戦し、新しくなった自分が好きでした。でも、そんな自分を、彼は好きじゃなかった、裏切ってもいいものだと判断した。もう一人の自分のように思っていた人に否定されるのは、自分で自分を否定するよりも苦しいことでした。
もう無理。ここまで一人で頑張ってきたけど、この結婚生活に潜む秘密も、全部一人で抱え込んできたけど、もう限界。もう私には力が残ってない。
夫の転勤先は、縁もゆかりもない土地で、地元からは飛行機で2時間半で、私には夫が全てに思えていました。でも、もう夫が全ての世界から、逃げたい。
iPhoneを手に取り、電話をかけました。
発信先は、仲違いしていたお姉ちゃん。結婚して、出産を数ヶ月後に控えた幸せ絶頂のお姉ちゃん。夫婦仲が悪くなった時、私ではなく、私の夫の味方についたお姉ちゃん。生まれた時から、ずっと私の味方でいてくれた、憧れのスーパーヒーロー、お姉ちゃん。
突然の電話には出ないだろうと思っていましたが、「もしもし?」と声がした時、感情は何もなかったはずなのに、蛇口が壊れた水道みたいに、涙がとめどなく溢れました。
しばらく何も言えず、お姉ちゃんの「もしもし?どうしたの?」という声を聞きながら、今まで感じた悲しみや苦しみや寂しさがしっちゃかめっちゃかにこみ上げて、船のエンジン音に紛れながら、泣きました。
そして、お姉ちゃんに言いました。
「家に帰りたい」
お姉ちゃんは少しして、言いました。
「帰っておいで。今すぐ帰っておいで」
私は乗り越える。差し伸べてくれた手を掴む勇気と共に
人生は、幸せな瞬間が多かった人ほど勝ちなんだと思っていました。幸せな瞬間があればあるほど、人や運に恵まれていて、人生や内面が豊かになっていくものなのだと思っていました。反対に、苦労や悲しさを知れば知るほど心が荒んでいくものなのだと。
今、トラウマだらけで心身ともにボロボロの私が思うのは、幸せは自分で掴むものなんだってこと。そして、その幸せを、自分ひとりで勝ち取ったら偉いってわけじゃないってこと。
私を愛してくれる、私以外の他人の、差し伸べてくれる手をちゃんと掴む勇気を持つこと。愛される勇気を持つこと。そしてその人を愛し、信じる勇気を持つことがどんなに私を豊かにしてくれることか。
私は、自分以外の人からの愛情や、優しさを、きちんと受け取りたい。そして、私も笑顔で次の船着場に降りていきたい。
その時私の目の前に広がる光景というのは、今まで生きてきた世界とは違って、特別なものになっているはず。