高校生の頃、母のことを受け止めきれなくなった。
叔母が数回目の再婚相手を連れてきた時、母は必要以上に父を責めた。繰り返される妹の結婚をなぜ止められないのか、子供たちに悪影響を及ぼすじゃないか。毎晩父を責め立てる声が家中に響いた。布団を頭まで被って耳を塞いで眠った。
年々感情をあらわにする母が苦手で、違う女性になろうと努力した
学生時代に実家に帰省すると、お風呂上がりのルールが厳しさを増していた。必ずシャンプーやリンスを通気性の良いところに置き、どんなに寒くてもマットを外に干しに行き、とにかく湿気を外に出す。守らなかったら母が起きてきて、説明が始まる。
社会人になり東京に引っ越す時、学生時代使っていたカーテンを捨てた私に、母はこれでもかと怒り悲しんだ。勿体無い、誰が買ったと思っているんだ、東京に行ってすぐにカーテンを買えるのか。帰省していた私は、追い出されるような雰囲気で実家を後にし、上京した。
母が感情をひどくあらわにする時には、必ずきっかけがある。そして、そのあとは誰も手に負えなくなってしまう。別の意見を言おうもんなら、その何倍もの言葉と強さで返ってくる。スマートフォンには、大量の通知が残る。
だから、最後はこちら側が黙り込み距離を取る。私も年を重ねるにつれて、年々母の感情の起伏の頻度が増してきたと感じるようになった。
そんな母が苦手で、母とは違う女性になろうと必死に努力した。性格も、人間関係も、趣味も、全てにおいて真逆に生きようとしてきた。
だけど、必死になればなるほど、母と同じ血が流れているのだということを実感するようにもなった。
実家に帰省するたびに、母に対する反面教師な自分に罪悪感を抱き、1人アパートに戻っては泣きたくなる、というのが恒例になった。
乱暴とも言えるシーンを読み気づいた。母を1つの肩書でしか見ていなかったと
そんな時、老人の性と母の性を描いた『春、死なん』(紗倉まな/講談社)に収録されたある短編と出会った。
性や家族との関係に悩む1人の老人が、家族の前で自分の欲望や気持ちを乱暴とも言える描写とともに打ち明けるシーンの中で「子供から見る肉親というのは、生まれた時からその役割を担っているように映るものだ」という一節があった。
私は母の顔が浮かび、気付かされた。
母のことを、1つの肩書きでしか見ないから苦しくなるのではないか。そして、母は他にもたくさんの立場や、その中で多くの経験をして感じてきたものがある1人の人間だということを、思った。
母は私の母以外に、娘であり、姉がいる妹であり、孫であり、妻であり、女性であり、1人の人間である。読み終えた私は、救われたように心が軽くなり涙が出てきたのを覚えている。小説を読んで涙を流すのは、初めての経験だった。
この小説と出会い数年が経った今でも、母に関して悩むことはある。1年ぶりに実家に帰省したつい先日も、母の言動を受け止めきれずに実家の風呂場で涙を流し、夜中に何度も吐き気が迫りトイレに駆け込んだ。1年ぶりに食べた母の手料理が抜け出し胃が空っぽになった状態で、東京に戻る飛行機に乗った。
母のことで苦しい時、互いを切り離して俯瞰的に考える余裕が生まれた
それでも、小説と出会う前と後で変わったことも、確実にある。それは、母の言動に衝突し悩むとわかっていても、機会があれば実家に帰省しようと予定を立てる私の原動力になっているものだ。
「母は私にとって、私を産み育ててくれた、たった1人の母親だ」
それは私と母の関係の揺らぎようのない事実であり、源のようなものだ。だからこそ、母の性格に悩むし、衝突するし、諦めもするし、何を言われても肝心なところは傷つけまいと黙ることだってある。絶対に切れない関係だとわかっている、幸せの証拠なのかもしれない。
小説と出会ったことで、母のことで苦しくなると、互いを切り離して俯瞰的に考えようとする余裕が生まれた。自分の言動に母に似た部分を感じても、これは私だと受け止め、むしろ私流にアレンジを効かせているじゃないかと笑えるようになった。
今日も母への返信に悩みながら、そんなことを考える。