周りに苦手な人はたくさんいるけれど、一番嫌いで許せないのは自分だった。そんな自分をずっと粗末にして生きてきた。別に誰かが嫌な思いをするわけじゃない、自分をどう扱おうが私の自由だと思って。子どもでしたね。
結婚して、私は人の妻になった。自分を必要としてくれる人と出会って、私はようやく自分を大切にしようと思えた。
そのとき、大人になったと感じた。

社会に出て自己肯定感は地に落ちた。自分をゴミクズ扱いした

自分をゴミクズ扱いしていたときの話をしよう。
元から低い自己肯定感は、社会に出て地に落ちた。書類を作れば誤字脱字、計算ミスと凡ミスだらけ。仕事の締め切りは守れない。当たり前のことが出来なくて上司や同僚から罵倒される。
子どもの頃からお勉強だけはできたし、優等生のふりをしてきたから、他人に怒られたことがなかった自分には堪えた。

自信もやる気も失い、死なないから生きているだけなんです状態だったが、仕事のできない駄目な自分を罰するように私は自分を追い詰めた。
昼休みを削り連日残業をして十分な睡眠時間を与えなかった。眠気覚ましに缶コーヒーを胃に流し込み、平日の夕食は自宅でとった記憶があまりない。職場のパソコンの前でコンビニパンをかじっていたのだろう。栄養も与えていなかったのだ。
それでは飽き足らず、自分の耳も傷めつけた。一人アパートにいる時間は、自分の辛さを代弁していると当時勝手に思い込んでいたV系バンドの音楽をイヤホンで爆音で聞いていた。そうでもしないとぐるぐる思考が止まらなかったからかもしれない。
私はこの職場に要らないのかな?でも自分の長所なんてわからないしこんなメンタルで転職無理。このままずっと一人なのかな?訳も分からず泣き続けて眠れない夜もあった。

でも問題はない。最低な自分にはこんな生活がお似合いなんだよ。そう思っていた。

夫と家で夕食をとり、日付が変わるまでには布団に入る。転機が訪れた

転機が訪れた。良いか悪いか、我が業界では約3年で部署異動がある。異動を機にしたわけではないが、いい縁があって結婚生活が始まった。
異動先は多忙と有名な部署で相変わらず残業もしていたが、毎日夫と家で夕食をとり、日付が変わるまでには布団に入るようになった。生活の質が上がった。というか異常じゃなくなった。
さて、なぜか。

私が大人になったからだ。

つまり、私が自分自身を大切に扱えるようになったのだ。
自分を大切だと言ってくれる人間がいると、私は自分が嫌いなんだよとも言っていられなくなる。誰かが愛してくれる自分を、自分が愛するようになったのだ。私は自分を粗末に扱うのをやめて、大事にしてあげることにしたのだ。もう自分だけの自分ではなくなったから。

自分を蔑ろに生きてきた今までの自分は子どもだったのだと思う

自分一人ならなんでもよかった食事も、一緒に食べてくれる人がいれば、栄養のあるものを作るようになる。当然自分も同じものを食べるので、栄養がつく。
嫌なことがあれば話を聞いてもらえるから、V系バンドの子守歌がなくても大丈夫(夫がストレスになることもあるけど)。待っている人がいるから自然と早く家に帰りたくなり仕事にメリハリもつくようになった。

おいしいごはんを食べて、夜はゆっくり休む。こんな当たり前のことを今まで自分は自分にさせてあげなかったのか。
かわいそうに。そう思った。
おしゃれもさせてあげることにした。自分を見ている人間がいるからね。

「自己責任」の名のもとに自分を蔑ろに生きてきた今までの自分は子どもだったのだと思う。己が誰かの大切な存在だと知り、その誰かのために自分を大切にできるようになること。それが大人なのだろう。

27歳にして、私はようやく大人になった。