「家族だから指摘するんだよ」
小さい頃から両親に幾度となく言われてきた言葉。その後にはいつも説教が続く。成長してからは私も言う側になったけれど。
言われるのはこんなとき……肘をついてご飯を食べているとき。「お行儀が悪いからやめなさい」人を指さしてしまったとき。「相手に失礼でしょう」エトセトラエトセトラ。
大人しく従っていたが、胸の内ではめざとく見つける親に対して反発心もあった。誰だって、自らの行動を批判されたらそう思うに違いない。当時、私は相手の立場に立って考え、自らを客観するということができていなかった。
ある程度、物事の分別がつくようになって、色々な人と関わるようになってから、全部とまでは行かなくても、かなりの割合で親の言葉をすんなり受け入れられるようになった。世の中には目をむくような行動をする人がいるとわかったからである。それと同時に私には指摘してくれる人がいて良かったなと思うのであった。
感じるジェネレーションギャップと、父、それでいいのか?という疑念
話は変わるが、私と父は四捨五入すると40歳離れている。新生児が成人するまでの時間の二倍だ。当然、ジェネレーションギャップも大きい。私はガリ版なんて見たことないし、父はスマホを持って二年ほど経とうというのに、未だにフリック入力ができずに猿打ちしている。ジェネレーションギャップは何も道具だけじゃない。考え方にも現れている。
私の父の頃は、「女はクリスマスケーキ」と言われていた。女性は25歳までに結婚しないと売れ残り、という考えである。それが今やどうだ。きっと現在、そんなことを言おうものなら各方面から袋だたきにされること間違いない。
流石に父もそんなことは言わないが、感覚が刷新されていないなと感じることがある。
ニュースや新聞で、性的少数者の話題が出てきたとき、態度が硬くなる。そして、聞いているこちらの気分が悪くなるような、偏見が混じったことを時折言うのだ。可愛がっている娘が当事者だったらどうするのだろうと思って、角が立たないように指摘しても、父はどこ吹く風と言った様子であった。私はこれからこの話題になる度に、父に対してモヤモヤしたものを抱え続けるようになるのか、と憂鬱だった。
今の時代を生きて欲しい。凝り固まったその考え方に、家族だから注意します
しかし、次同じようなことがあったら勇気を出して、指摘しようと思うようになった。友人からのカミングアウトを受けたからである。最初、驚きと、驚いている自分への失望があった。
私も自らの趣向しなんてものは表に出して歩いているわけではないし、統計ではクラスに一人はいると言われているというのに。結局自らも周囲に対して色眼鏡で見ているということに気がついた。もしかしたら、友人に対して無意識のうちに失礼なことを言っていたかもしれない。
そう考えていたら、父のことが頭に浮かんだ。当事者ではない私ですら不快に思うのだ。何かの折に、父の褒められるようなものではない態度が出ているかもしれない。当人はいなくても、家族に、親戚に、そして私のように友人に、当事者がいる人はきっと気分が良くはないだろう。そうしたら彼らの、父への印象はどうだろう……いいわけがない。
お父さん、家族だから指摘するんだよ。
もっと最近の情勢に目を向けて。活動しろとか、声を上げろとか、そんなことは言わないから、せめて正しい知識だけでも身に着けて。