中学生の時、将来何になりたいかと聞かれたとき、「カッコいい大人」になりたいと、私は言っていた。
当時の私が思うカッコいい大人は、試練を乗り越えて、強くなり。苦労を知るからこそ人に優しく、芯のある凛とした強さを持った人だった。
守るべき後輩が前職の私のようにならないように必死に働いた
24歳、今年で25歳になるけれど、一向になれている様子はない。仕事を必死に頑張って、トライ&エラーを繰り返しても、乗り越えられている様子がない。エラーをする度に振り出しに戻っている気分になる。
20歳で専門学校を卒業して、一つ目の会社を3ヶ月で退社した。毎日12時間を超える長時間労働と上司のパワハラが原因だった。自分なりに頑張ったつもりだったけれど、心が潰れてしまった。私は試練を乗り越えられなかった。
半年弱休んで、別の職場に就職した。
そこでも最初はパワハラのようなものがあった。前の職場と比べれば可愛いものだったけれど、やっぱり怖いものは怖かった。けれど、今回少し違ったのは守るべき後輩がいたことだ。彼女が前職の私のようにならないように、必死に守りながら働いた。
それはもう怖くて怖くてしょうがなかったけれど、平気なフリをして、カッコいい先輩を思い描いて。結果一年でその上司はいなくなった。やっと乗り越えられた。そう思った矢先に抑うつとパニック障害を発症して出勤できなくなった。そして、2年やった仕事を退職した。
断られた契約。私は必要とされていない?落ち込んで気づいたのは…
この2年間で得られたものは大きかった。同僚から信頼して貰えるようになった。成果と呼べるものも発表できた。けれど、普通の日常生活を送れるようになるまで1年を要してしまった今は、また振り出しに戻ってしまったように感じた。
ふと、同級生を見てみると大学を卒業し、社会に出て、愚痴をこぼして苦労をしながらも乗り越え、仕事が楽しくなって来ている様子だ。
彼らは立派にカッコいい大人に見えた。
私は凄く焦っていた。
クリスマスに前の職場で週一でバイトをした。
繁忙期だったから、凄くありがたがられた。必要とされているようで、嬉しかった。
嬉しかったから、もっと忙しくなる年明けからは週3で入りたいといったら契約を打ち切られた。また身体を壊されても責任が取れないからだと言われた。
ショックだった。必要とされていると思ったのに要らないと言われた気分だった。けれど、1日落ち込んだら、逆に目が覚めた気持ちになった。
過去の栄光に縋り付くように、自分を受け入れてくれるところに甘えて、進化することを辞めようとしていた自分に気付いたからだ。
自分の足で歩き出そうと決めた。
4年の出来事を無駄にしないために、思い描くカッコいい大人を目指す
2月からは、webデザイナーを目指してスクールに通うことにした。成人して4年。社会に出て、世間的には大人の区分に入って4年。
中学生の私が思い描いていた「カッコいい大人」には程遠い。
けれど、私がした4年間の苦労を、報われたと思った瞬間を、無駄にするかどうかはこれからの私次第だ。
周回遅れでも、私にとっては今が最速のスタートだ。
今はまだ見えもしない。
きっとすぐには届かないだろう。
それでも、私は、今の私が思い描く「カッコいい大人」に向けて手を伸ばし続ける。