心が沈んだときに本を読んで考える。「本当に捨てらんないもの」は?

好きな本は、と聞かれたら必ず答える本がある。
吉本ばななの『キッチン』。
『キッチン』は、唯一の肉親である祖母を亡くした主人公のみかげが、祖母の通っていた花屋の店員であるひとつ年下の青年・雄一に、ひとりで住むには広すぎる今の家からのしばらくの引越し先としてうちに来ないかと誘われるところから始まる。
それから雄一と、雄一の母親(実は性転換して暮らす元父親なのだけれど)のえり子との奇妙で、けれど愛に溢れる3人暮らしの中で、みかげが祖母の死からゆっくり立ち上がり、自分の人生へと歩み始める過程の物語だ。
どうしようもない気持ちのとき、何冊も重なっている積読本たちに心の中でごめんねと謝りながら、何度だって手に取ってしまう。
わたしにとってこの本は、いちばん大事なことを思い出すためのキーみたいなものなのだと思う。
たかだか20数年の人生だけど、その中でもいちばん、どん底まで気持ちが落ちていたことがあった。なにか大きなきっかけがあったとは自分でも思えなくて、多分、生きている中でずっと積み重なっていったズレが大きくなりすぎて、立っていた場所が崩れてしまったような、張り詰めた糸が切れたようなものだったのだと思う。
不思議なもので、心がパンクしていると、それまで普通にできていたことが途端にできなくなってしまうらしい。人と会うのも、日常生活も億劫なことだらけで、本読むのもを好きだったはずなのに、文章がひとつも理解できない。
そんな日々のなかで、ふと、以前に読んだ『キッチン』の一節を思い出すことがあった。
「まあね、でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことが何かわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。あたしは、よかったわ。」
ゲイバーを切り盛りするえり子さんは、華やかで美しくてエネルギッシュで、文章を読んでいるだけでも光っているのがわかってしまうくらいの人なのだけれど、最愛の奥さんを亡くす経験をしていた。性転換をしたのもそれがきっかけになっている。
そんなえり子さんが言うこの台詞が、底に沈んでいた自分にすぅ、と染み込んだ。
わたしが、こんなになってまで大事にしたかったものってなんなんだろう。
こんなになってまでそれでも生きていて、やりたいことってなんなんだろう。
それから、みかげみたいに人の手に触れたりして、ゆっくりぎこちなく歩き始めたわたしが久しぶりに最後まで読んだのも、生きていると時々訪れるどうしようもなさに寄り添ってくれるのも、この本になったのだ。
『キッチン』の登場人物は、みんなちょっと変わっている。台所という空間を愛するみかげも、やけに綺麗なえり子さんも、おっとりしながら自分をぶらさずにふたりと暮らす雄一も、なんかみんなちょっと変。
だけど誰よりも愛おしくて、ほんとに、笑っちゃうくらいに美しいから、わたしもそういう人でありたいなと思う。
たぶん、それこそ大事な人をなくすとか、これからもっと大きな絶望がやってきたりするんだろう。そんなとき、この本を思い出したりまた本棚から引っ張りだしたりして、そうやって、大事なものを忘れないで生きていきたい。
それでいつか、えり子さんの愛情みたいに、みかげにとっての台所みたいに、わたしにとってのこの本みたいに。わたし自身やわたしのつくったものが、誰かをゆっくり、ぼんやり救えたらいい。
そのときわたしは、みかげに憧れてキッチンで眠りたがるような、ちょっと変で、愛しくて、美しいひとでいられたらいい。
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