私にとっての最貧困は世間にとっての最貧困ではない。コロナ禍に違う理由で最貧困を経験したことにより、自身の置かれた境遇を理解することができた。だから私は困っている人を支援し続けたい。
27歳職歴なし、就職未定、貯金残高は3万円。極貧生活開始
私が人生で一番極貧生活を送ったのは、2019年の10月から2021年の3月まで、ちょうどコロナ禍に入る少し前からまっただ中の時であった。
9月に大学院を修了し、それまで両親の仕送りのみで生活していた私は、実家に戻った途端に初めて経済的不自由を経験した。
残された貯金額は3万円。27歳職歴なしというハンディを背負った私が就職できる保証はなく、とても使えるお金ではなかった。つい数ヶ月前まで札幌で優雅に一人暮らしをしていたのに、それは突然のことであった。
就職が決まるまで、早くても2021年の3月までは叔父が修了祝に下さった3万円で暮らそうと考えていた。そのうちの4000円は所属学会に支払い、数ヶ月に一度の通院時にちょっと美味しいものを食べるのが唯一の楽しみとなっていた。
そんな生活を始めて半年が経った頃、日本にもコロナが蔓延し、それに伴う失業や貧困がニュースでも取り上げられるようになった。私は自分の所持金の5倍ものお金(一時給付の10万円)が入ることを喜び、一早く申請をした。
あいにくその年は欲しいと思うデザインの服が沢山出て、なぜこの時期にという思いでいっぱいになったが、お金がないという状況は本当に全ての行動をストップさせてしまうのだと実感した。
ニュースで知る世の中の状況。最貧困ではないと知り、生まれた誓い
この半年間で生活はがらりと変わってしまった。これまで頻繁にサーティーワンアイスクリームを食べていたが、気づけば箱入りアイスの半額デーを狙ってスーパーに出向き、物足りない時は自分でおやつを作るようになった。洋服や雑貨といった物類は一切買わず、お金を使う遊びもしなくなった。
私は立場、生活共に本物のニートとなってしまった。
しかし、毎日目にするニュースによって、私は最貧困ではないということをその都度思い知らされた。
世の中には失業によって衣食住がままならない人も少なくない。そしてこれらは非正規雇用者や障害者といった弱い者により強くしわ寄せが行っている。
衣食住があり、自宅で就職浪人している私は寧ろ恵まれている。そう思い、私は早く身分を安定させて支援を必要としている人に届けようと心に誓った。それから私は1日8時間勉強し、休憩時間にはどういった支援策が有効であるかを考えるようになっていった。
想いは面接官に届き、内定獲得。これまでの行動は間違っていなかった
この想いは就活に有利に働いた。面接試験で支援策について聞かれると、日頃から考えていたことをすらすら話すことができ、面接官も感心しているようであった。面接試験の点数が驚くほど高く、複数の役所から内定をいただくことができた。私が想い続けていたことは間違っていなかったのだ。
元々社会貢献に関心があり、地域振興型の政策立案コンテストに出て入賞したり、被災地の子どもたちへの学習支援ボランティアに参加したりと常に自分にできることを考え行動してきた。院生になり、今まで解明されていないことの発見が求められた時は、「自分にしかできないことは何か」を考え、よく悩んでいた。
そして私は公職に就いた身として、一つの大きな目標がある。それはコロナが収束後に自分の生まれ育った町でチャリティーイベントを行い、新たな支援策を構築することだ。
コロナ禍は私の町でも猛威を振るい、多くの飲食店が閉店に追い込まれ、作業所も思うような活動ができなくなった。集客力のある人を招待し、そこで得たお金を事業所ではなく入居者に直接渡すことによって立場の弱い方々に経済的支援を行うこと、お催し物を行い、その参加賞として経営難に追い込まれた飲食店の製品を渡すこと等を考えている。
コロナ禍を通して、やはり生きていくにはお金が必要であるということを学んだ。県職員として、少しでも県民の力になっていきたいと考えている。