コンビニにスーパー、デパートの催事場。
買い物に行く先々でチョコレートが大々的に陳列されているのを目にするようになった。
気づけば、バレンタインまで1ヶ月を切っている。

バレンタイン。
29歳、彼氏なし、気になる人なし。
女子校育ちで浮いた話ひとつなく、チョコレートが特別好きな訳でもない私には縁遠い日である。話の話題にでも登らなければ普通の平日と変わらない。ともすると存在すら忘れてしまうその日。
バレンタイン。
振り返ればそんな私にも、バレンタインにほろ苦い思い出があった。

いわゆるマセガキの私には、騒がしいクラスの男子生徒はただの子供

もう15年以上前、当時の私は地方のド田舎の小学生だった。
学歴コンプレックスを持つ両親のもとに生まれ育った私は、小さい頃から親の勧めで学習塾に通い、そのおかげか小学校ではかなりの秀才として通っていた。
小学生の女の子の成熟は早い。
いわゆるマセガキだった私には、グラウンドでサッカーボールを追いかけギャーギャーと騒がしいクラスの男子生徒はただの子供にしか見えず、彼らのことを馬鹿にしていた。
そういう態度は相手にも伝わるもので、小4くらいの頃にはクラスの悪ガキと私の間は戦争状態だった。
私に口で負けるとわかると手を出してくる男子なんて猿である(自分だって直ぐに手が出ていたことは都合よく棚上げしていた)。男子なんて馬鹿ばっか。
そう思っていた私が恋をするのは、小学5年生の頃である。

その頃の私は祖母の語る女子校の素晴らしさを鵜呑みにして、私立の中高一貫校を進学先に定めていた。
中学受験をするならと新たに受験対策を謳う学習塾に通うことが決まった。
地元には2校の学習塾があった。
ひとつは地元に古くからある地域密着型の塾。もう一つは、最近全国で勢いを持ち始めたニューフェイスだった。
その昔、地域密着型の塾で受験を失敗した経験を持つ父の猛反対もあり、私は新しく出来たばかりの学習塾の門を叩くことになる。

真新しい学習塾は生徒数も少なく、私を入れてクラスには5人しかいない。
同級生たちは昔ながらの塾に通うことを選択したのかクラスには知り合いが全くいなかった。
他の学区の子、他のクラスの子。
同じクラスの男子とは戦争状態だったので、かえってその環境は気楽だった。
毎週月曜日と木曜日は塾で受験勉強をすることが私のルーティンになった。

暴言を吐かず、暴力に訴えないAは、私が初めて出会うタイプの男の子

同じクラスに1人の男の子がいた。
仮に名前をAというその子は、学校こそ同じだが、一度も同じクラスになったことのない子だった。
それまで私は、男子というものは幼稚なことで盛り上がる頭の悪い生き物だと思っていた。口では私に勝てないし、勝てないと分かると程度の低い暴言を吐いてくる。そういう存在だと思っていた。
でもその子は違った。
知らない知識をたくさん持っていて話していて楽しかったし、意見が合わなくても機嫌を損ねて暴言を吐かない。勿論暴力に訴えてくることもない。
クラスの中でも頭が良くて、塾内模試でも冊子に名前が必ず載るような子だった。

私が初めて出会うタイプの男の子だった。
最初は負けず嫌いで彼に張り合って勉強を頑張っていたのが、次第に彼に会いたくて塾に行くようになった。
どっちが速く問題集をクリア出来るか、テストの成績はどちらがいいか。
向こうにそんな気はなくても、一言でも多く彼と話す話題が欲しくて私は勉強に取り組んでいた。

年が明けて小学6年生になり、受験勉強は本格化した。
年度末のクラス分けで私も彼も、上位校を目指すための特進クラスに進級が決まった。これからも同じクラスで勉強できることが私は嬉しかった。
特進クラスは電車を使う必要のある隣町にあり、私も彼も電車を利用していたから行き帰りが同じにならないかなと、わざとらしく居残ったり電車を待ってみたりもしていた。
タイミングがあって一緒に帰ることができた時は、私はそれはもうはしゃいだ。

楽しい2年間だった。

本命とバレないように渡したのに。翌日、私を待っていた衝撃

その年の2月。
受験が終わった解放感に後押しされて、私はスーパーの特設コーナーでチョコレートを選んでいた。
私も彼も無事に志望校に進学が決まり、4月からは顔を合わせることもなくなってしまうという現実も私をバレンタインに駆り立てた。
彼だけに渡したらそれこそ本命だとバレてしまう。
塾のクラスメイト分を見繕って、何食わぬ顔をしてチョコレートを贈った。

翌日、小さな達成感を胸に登校した私の机の前にクラスのガキ大将が待ち構えていた。
警戒した顔でそちらをみれば、ガキ大将はニヤついた顔を隠しもせずこう言った。
「オマエ、Aに告ったらしいな!!」
何故知っている!?私に衝撃が走った。
その顔が余程面白かったのか、周りで様子を伺っていた男子たちも一緒になって囃し立てて来るし、私がAのことを好きだったことを知っていた女友達も居た堪れない目で見て来るしで、私はとんでもなく恥ずかしかった。

私の勇気もAにとっては笑い話で、所詮は他の男子と同じだったんだ

バレンタインチョコを渡したあの日、私は彼のチョコレートの中に小さな手紙を忍ばせていた。
受験お疲れ様、いつもくだらない話に付き合ってくれてありがとう、学校は別々になってしまうけどこれからもよろしく。
そんな他愛無い文章を私は「I love you.」で締めていた。
私が彼のことを好きなことを知ってほしいような欲しくないような、万が一知られてしまってもアイラブユーなら冗談だよで笑って済ませることが出来るのではないか。そんな複雑な子供心だった。

Aは私がバレンタインにチョコを渡したこと、手紙にI love you.と書いてあったことをガキ大将に話していた。
私にとっては勇気を出した一歩も、Aにとっては笑い話でしかなかったんだな、Aも所詮は他の男子と同じだったんだなと、とんでもなく虚しい気持ちになった。

卒業式の日、チョコレートのお礼だと貰ったお菓子に喋ったことに対する謝罪が書いてあったが、気づいたのは春休みに入ってからだった。
別々の中学に進学し、顔を合わせることもなくなるとAに対して抱いていた浮足だった気持ちも次第に薄れ、私は恋とはまた違うトキメキをゲームや漫画に抱くようになった。
あれ以後、私に浮いた話はひとつもない。

バレンタインのエピソードをひとつ、と言われると、未だにちょっと苦いあの頃の思い出がよぎる。