可愛いは正義――何年か前に流行した言葉である。
当時私は三十代だった。この言葉に「確かにそうだ!」と納得した。そこで「可愛く」あるために美容院で髪を切り、メイクを勉強した。服も流行に合わせて取っ替え引っ替え楽しんだ。

「イケてる私」と信じ、迎えた四十代。叔父の一言に打ちのめされる

そして迎えた四十代。「お若く見えますね」のお世辞に乗せられて、ずっと二十代の頃のヘアメイクを続けてきた。「若作りでイタいかも?」と思いつつも、体重を維持して肌も髪もお手入れを頑張ってきた。自分なりに「イケてる私」と、悦に入っていたのである。
ところが。2年前、43歳のとき、久しぶりに会った叔父の一言が私を打ちのめしたのである。

「ダサい化粧と服だな。昔から思っていたけど、お前はなんでそんなにセンスがないんだ」
……茫然自失である。いままで丹念に作り上げてきた「美」に対する自信が、木っ端みじんに吹き飛んだ。
あまりのショックに言葉も出ない私に、叔父は更に追い打ちをかけた。
「そんな化粧と服じゃ、暗くてダサいオタク女だ。お前はもともとは結構美人なんだから、自分を綺麗に見せる努力をしろ。お金を払ってでも化粧の仕方をプロに習ったらどうだ。まだ四十代だろう。四十代はギリギリイケる。五十過ぎたら手遅れだけどな」

傷付いても叔父孝行だとヘラヘラ笑う当時の私を、どつきまわしたい

言葉に暴力があることを初めて知った気がした。
しかし、叔父は自分の子供にも同じように毒舌を吐くらしい。つまり、叔父は私を傷つけるつもりで言ったのではない。むしろ、男から見て「綺麗な女性・モテる女性」を助言しているつもりらしかった。
弁の立つ叔父に適切に言い返すことも怒ることも出来ず、私はただヘラヘラと笑っていた。勿論傷ついていた。しかし、「こんなに毒舌では、自分の子供達には何を言っても無視されているに違いない。こうしておとなしく聞いてあげるのも叔父孝行をしていると思おう」と我慢していた。

当時の私をどつきまわしたい。なぜなら今では当時の精神状態が分かるからである。
それは、「私さえ我慢すれば周囲は丸く収まる」という心理。思えば私は、長年この心理を掲げて生きてきたように思う。

私だけでなく、母もこのスタンスで家庭生活を維持してきた。私の父は、母や私に「我慢する女、わきまえている女」を強制する男であったからである。そんな父の教育方針によって、私は「我慢する女」へと成長した。その結果、「可愛いは正義」に納得する女へとなったというわけである。

「可愛いは正義」とは、「女性は日本のオトコにウケる見た目と態度でいなさい」ということ。それをなんの疑問もなく受け入れ実行してきた私の愚かさ。叔父の爆弾発言によって、自分の愚かさにようやく気づけた気がする。
そう思うと、当時の叔父に感謝……しないでもない。

人生を生き抜くにはどうすれば良いのか。最後まで模索していきたい

さて、45歳の今。気力体力の衰えも感じるが、やはり見た目も年々すすけていく。それでも「可愛く」あるためにメイクをしている。
小綺麗でいようと努力することはやめられない。他人と比べないように意識しても、他人の視線は気になる。外見を気にせずには生きてゆけないようなこの国で、私のように生きづらい人はたくさんいると思う。
こんな時代でも、人生を最後まで生き抜くにはどうすれば良いのか。私は「私のあり方」を最後まで模索していきたい。
その模索こそが「わきまえない女でいること」だと思うから。