私はイケメンだ。
身長も高く、細身ですらりとしている。髪をセットしスーツに身を包めば、女の子から歓声が上がる。
誤解のないように最初に言っておくが、私は女性の身体で生まれ、自身を女性として認識しており、恋愛対象は男性だ。それでも電車に乗って辺りを見渡しても、私よりイケメンを見つける方が難しい。

私の願いは、規則の範囲で男性達と同じファッションで出社すること

ここまで読まれた方は、なんてナルシストな奴なんだと思っていることだろう。コイツの顔を見てやりたいと気になっていることだろう。Instagramに飛んでほしい。

しかしどれだけ私が美男子でも、己の姿を気に入っていても、この国に女性として生まれたらパンプスにスカートでないと仕事ができない。
確かに女性でも工事現場で働けるし、車の整備士として活躍している方もいる。いわゆる女性らしい格好をせずに仕事をしている素敵な女性がたくさんいることは分かっているのだ。

でも私の願いはそうではない。そういう仕事をしたいわけではないからだ。
ただサラリーマン達と同じように、かっちりとしたジャケットにピカピカの革靴を履いて出社したい。折れそうなピンヒールとふわふわのフレアスカートではなく。規定外の金髪にするわけでもなく、ダメージデニムを履きたいわけでもない。ただ規則の範囲で男性達と同じファッションがしたい。
そんなささやかな願いは、私が女性である限りは受け入れてもらえることはない。女性がするべき格好はなぜか必ず決まっているのだ。

性自認が男性で、恋愛対象が女性であれば、社会は願いを認めるだろう

LGBTという言葉が広まり、意味を正しく理解しないまま、ただなんとなく「本人が主張する性別を受け入れることが正義」と認識している人が多いと感じる。だからもし私の性自認が男性で、恋愛対象が女性であれば、社会はあっさりと私にスーツを着用させてくれるのだろう。

雑誌をめくっても、その雰囲気を感じる。女性なら可愛くありたいだろう、という圧とでもいうのだろうか。男性ならスーツを着てよし、と似た上からの目線を感じるのだ。ボーイッシュ、メンズライク、オーバーサイズ。そういった言葉が並んでいるが、靴や小物だったり色使いだったり、必ず女性らしさが残されている。
極め付けは「メンズを着ると華奢見え!」というキャッチコピーである。要はボーイッシュと言葉を変えようと、ただそれは女性を女性らしく見せるためのレディースファッションなのだ。

私は男装時は、肩パッドを入れる。胸の膨らみは潰し、ウエストの曲線もなるべく出ない固い生地のシャツを選ぶ。こういった工夫は別に男性になりたいから行っているわけではない。ただそうした方がカッコいいからだ。

今日も諦めてストッキングを履く。でも私は女性で、イケメンなんだ

キラキラのネイルが嫌いなわけではない。真っ白のアンゴラニットだって、可愛いと思う。それらを身につけた鏡の中の自分も、まァ、悪くはないんじゃないかと納得はする。
コテでふんわりと巻いたハニーブラウンのロングヘアに、甘い香りのオードトワレを吹きかければ、どこからどう見ても完璧に女性だ。 

社会が望む女性の姿でいればいるほど、世間は優しく、渡りやすい。自分でも分かっているから、この姿を捨てられない。
それでも私は、大股を開いている打ち合わせ相手のおじさんの、鈍く輝いているベルトのバックルが羨ましい。それは私の方がよっぽどカッコ良く着こなしてあげられるのに。自分の腕についた華奢なピンクゴールドの腕時計よりも、きっと私の魅力を引き立ててくれる。

それでも私は、今日も諦めてストッキングを履く。女性として生きたければ、そうするしかないからだ。いっそ男性になりたいと思えたら楽だったのかもしれない、でも。

私は女性のままで、イケメンなんだ。