高校生の頃の私は、周りのメンバーのキャラを見て、バランスが良くなるように自分のキャラを変えていた。それが私なりの、女子グループの中で仲間はずれにされることなく過ごすための術だった。

求められ、友達に当たりを強く接した私。何がしたいんだろうと自分が分からなくなった

ふわふわでかわいい天然な子が揃っていた時、私は天然女子のボケを回収する突っ込み役に回っていた。私に向けられた、「意外と毒舌だよね~」という誰かの一言から私が毒舌キャラだという話で盛り上がった。

その日から、私は毒舌キャラになった。そういうキャラを求められている以上、毒舌なことを言わなければならないと、友達にも、当時好きだった人にも、当たりを強く接した。私の発する一言でほんの一瞬空気が変わる瞬間が、とても苦しかった。
でもその接し方を辞めるとかキャラを変えるとかは出来なかったし、ましてや素の自分を出してみることなんて考えたこともなかった。

半年後、当たりを強く接していた好きな人に告白された。私の少し気が強くて芯のあるところが好きだと言ってくれた。そんな風に見られてたんだと初めて知った。
でも本当の私は気が強くなんてない。どちらかというと気が弱い方で、優柔不断で、引っ込み思案だ。気が強くて、芯がある子が好きならば、私のことは好きにはならないだろう。告白されたのに、同時にフラれていて、「私何してるんだろう、何がしたいんだろう」と自分がわからなくなった。

周りを見れば見るほど自分自身の軸や意思の無さに気づき、自分に呆れた。その彼とは付き合ってみたものの、好きな人を前にどんなキャラを演じれば良いかわからず、そんなことを考えるのに疲れてしまい、長くは続かなかった。

誰にでも優しくする自分が、自分の中で1番好き。私が好きな私でいたい

高校を卒業して5年が経った。
周りに左右されることに疲れた私は、自分のキャラなんてあるのかないのかもよくわからないままだが、少なくとも私の好きな私でいたいと強く思うようになった。
最近の私はいつも元気にニコニコと、誰にでも優しくする人でいるように緩い心がけをしている。他人がどうかはわからないが、少なからず私は人に優しくてもらったら嬉しいと思うからだ。
そして何より、周りの人に優しく接している時の自分が、いろんな自分の側面のなかで1番好きだと気付いたからだ。

いまの私はどう見られているだろうか。皆に笑顔を振り撒いて、あざとい女だと思っている人もいるかもしれない。あんな優しさ嘘だと言われているかもしれない。
でも周りのキャラがなんであれ、周りの環境がどう変わろうと、私が好きな私でいたいという気持ちは変わらないだろう。

いつも優しくというのは簡単ではないけれど、自分の優しさで誰かを救えるかもしれない

「誰にどう見られても構わない!」と言いきれるほど強くはなっていないけれど、今のところはそう思っている。

いつも優しくというのは簡単ではない。自分の仕事や悩みごとでいっぱいいっぱいになってしまって、人のことまで考えられないような日もある。
それでも、出来る限り優しく柔らかく接することで、どこかの誰かが温かい気持ちになるのではなだろうか、と思う。人と人との関わりが少し冷たいように感じるこの世の中を、温かくはできなくとも、せめてぬるいくらいには出来ないだろうか。

そんなことを思いながら優しさを心掛けていると、自然と自分の心に余裕が生まれ、少し楽になることもある。

自分の優しさで自分も誰かも救えるかもしれない。大袈裟と言われるかもしれないし、私ひとりの言動ごときではなにも変わらないかもしれないけれど、そんなことを願いながら今日も笑って優しく過ごそうと思う。