もう6年くらい、楽器に触れていない。
未だに、よくある「たられば」が脳内を駆け巡る時がある。
あの時上京していたら、あのライブでいい演奏ができていれば、もっとメンバーの気持ちを考えていれば……。

音楽好きの私はフリミに入部。担当はドラムで、バンドも組むことに

高校に入学したわたしは、音楽が好きだったのでFreeMusicClub、通称フリミと呼ばれる、いわば軽音楽部のような部活に入った。
先輩達は派手な化粧に派手な髪色、個性的なファッションと、高校生離れした容姿で校内でも注目を集める存在だった。
歌う事が好きだったのでボーカルをやりたかったが、バンドでやるような曲の知識があまりにも少なかったので、中学からやっていたドラムを希望した。

よく「ドラムって手と足がバラバラだから難しいよね」と言われる。しかし、わたしにとっては音階のない打楽器は誤魔化しが効くし、バラバラなようで連動しているのでそんなに難しくはなかった。

1年生の文化祭までは先輩が決めたメンバーでやっていたが、その後、気の知れた子達と組み直す事になった。
常に周りに人が集まるきのこヘアーのベース、美人で合唱部上がりのボーカル、ベースの近所に住んでいたギター、この4人でガールズバンドを結成した。
進級してからボーカルが去り、学年が1つ下の新ボーカルが加入した。

順調だったライブ活動。でも高校生という枠を出たとき、バタバタと足搔いた

わたし達のライブはなかなか評判が良かった。はじめは周りのバンドがやらないような曲を見つけてカバーしていたが、1つだけ作ったオリジナル曲が当たって、高校生大会で1位になり、地元新聞の取材を受けるなど、まるで自分達が世代の頂点に立っているかのような気持ちになっていた。
それを機に、たくさんオリジナル曲を作って、自費出版でCDを作って、活動範囲を広げていった。

楽器を背負って電車に乗って、県内各所のライブハウスに出向いたり、いつも出演してるライブハウスのスタッフさんの誘いで大人に混ざって他県のイベントにも出られるようになっていた。大人の仲間入りができた気がして、とても楽しくて順調だった。

高校卒業後、ギターとベースの2人は上京、わたしは東京に住める気がしなかったので隣町の短大へ進学した。バラバラになっても、遊びがてら東京に集まって練習していた。先に上京していた先輩達の力もあり、東京のライブハウスで有名なバンドと一緒に出演することもあった。

しかし、高校生の枠を越えて、大人の枠に入った時、その枠に守られていた事を知る。注目されることも減り、曲だけが若いまま、妙な違和感を纏ったステージになっていた。
あれだけ持て囃されていたのも、さまざまなライブに出られていたのも、高校生だったからなのであった。一気に広がった枠の中でバタバタと足掻いて溺れていった。
いつかはバンドでご飯を食べられるようになりたいと思っていたが、もうその気力が誰にも残っていなかった。

バンドを続けるか就職か?自分なりに選択をしたものの、考えてしまう

いつからか、ステージでベストを尽くすという当たり前のことを完全に忘れていた。高校の頃に感じていた演奏の楽しさも感じなくなっていた。練習に向かう足も重く、ズルズルと無駄な時間とお金が消えていった。

言わずもがな、18歳のわたし達には東京までの距離は大きな壁であった。就職活動を始める時期になり、バンドを続けるか就職か、迷いはしたが比べる事はなく地元就職を選び、バンドを辞めた。

高2の夏、最初のボーカルが辞める時にバンドを解散するという意見も出た。その時にギターの子が言った言葉が今でも思い出される。
「バンドってさ、こういう事を乗り越えて成長していくものなんじゃない?ここでやめたら終わりだよ」

社会人1年目、一度だけ東京にいるメンバーからまた一緒にバンドをやって欲しいと頼まれた事があった。

社会に出始めたばかりのこの環境を捨てて、どうなるか分からない博打のような人生を歩む覚悟がつかず、断ってしまった。
メンバーは、今でも東京でバンドを続けているし、先輩達の中には武道館を満員にしている人もいる。
夢を追い続けている仲間達と、地元で毎日ひたむきに働いているわたし、一体どちらが大人なのだろうか。
ただ、今、バンドを当時の熱量でやりたいかと聞かれると、答えはNoだ。
一体、大人って何なのだろうか。