何度も何度も押し殺しては、苦い薬のように呑み込んでいた「つらい」の感情。
会社から一歩足を踏み出した瞬間、それまで溜まっていたものが堰を切るように、涙が溢れて溢れて止まらなかった。

長女の私には、ふたりの妹がいる。
そのうちのひとりは年子で、幼い頃から何をするにも一緒だった。
妹だけど、妹とは少しちがう存在。
かといって友だちというのも何だかしっくりこない。
だから、みーちゃんとくーちゃん。
お互い昔からその愛称で呼び合っていた私たちには、それがふたりの関係性をいちばん正確に表してくれるぴったりな言葉だった。

地元から離れて暮らす社会人1年生。やりがいと共に失った私自身

大学を卒業し、社会人1年目だった私は、地元からかなり離れた場所で働いていた。
就職先は念願の第一志望の会社。
世間はコロナ禍に入ったばかりの大変な時期だったけど、人との出会いや学びで溢れていた毎日は、目に映るすべてがキラキラと輝いて見えて、本当に充実していた。

だけど、いつからだろう。
気づけば自分の立っている場所も、今何を考えているのかも、本当に何も分からなくなっていた。
休日も関係なしにやってくる仕事の通知。
あれもしなきゃ、これもしなきゃと、勝手に自分を追い込む日々。
頭の中はいつも仕事のことばかりで、大好きだったラジオも、本も、音楽も、仕事の支障になるからと部屋の片隅に追いやっていた。

新しい学びに、新しい事業形態。
どの仕事もやりがいがあって、そのどれもが自分の成長につながっていることがよく分かった。
だけどやりがいと引き換えに、大事なものも少しずつ減っていった。

よく分からないけど、つらい。
気づかないふりをしていたけど、日に日に存在感を増していくその感情。
報連相が身に染みついていた私は、さんざん悩んだ末、会社に迷惑をかけまいと上司に相談した。

染みついた報連相でも分からない自分の気持ち。私は妹に電話をかけた

「どうしてつらいって思うの?」
「どんなときに苦しいって感じるの?」

相談しても、自分の気持ちは分からなかった。
「つらいから、つらい」
「苦しいから、苦しい」
そんな何の答えにもならない答えしか出てこなくて、言葉の代わりに涙だけがポロポロとこぼれ落ちた。
ああ、これは良くない兆候だ。
昔と同じことを繰り返してしまう。
直感的にそう感じた私は、震える手で妹に電話をかけていた。
ただ、声が聞きたかった。

驚いたことに、彼女は数日としないうちに昼行バスと夜行バスを乗り継いで、私の住む町までやって来た。
少し大きなキャリーケースを片手に、相変わらずの能天気な顔で。
不思議なもので、彼女の顔を見た瞬間、私自身ともまた出会えたような気持ちがしたことを覚えている。

妹との生活で取り戻した私と、ひとりで苦しむことに固執した私の選択

仕事から帰ると、毎日夕飯を作って待っていてくれた彼女。
「今日行ったスーパーね、シュークリームが安くて買ってきちゃった!」
「今日の夜ごはんは特製ハンバーグだよ!早く食べよ食べよー!」
こんなこと言ったら彼女はむくれそうだけど、しっぽを振って飼い主の帰りを待つ犬みたいに見えて、いつも笑ってしまった。
その日あったことを聞きながら、ふたりで食べる夕食。
仕事とかけ離れた日常が、確かにそこにはあった。
休みの日にはふたりで小さな公園に行って、帰りはスーパーに寄って一緒に買い物もした。
値段の高いものを「お茶会(お高い)だねぇ」と言って、また笑い合えたのがうれしかった。

「いつもありがとね」
私がそう言えば、「ダラダラしてるだけだよ〜。みーちゃんもダラダラすればいいのに」と、私が大好きな即興ゆるゆるダンスを踊りながら、彼女はそう答えた。

当時フリーターだった彼女は「このまま私もここに住んじゃダメ?」と、よく私に聞いてきた。
一緒にいられたら、どれだけいいだろう。
何度も何度もそう思った。
だけど、苦しくてもひとりで自分と向き合うことに固執していた私は、その言葉を振り払った。
「まぁみーちゃんのことだから、そう言うと思ってたよ」
そう言いながら、少しだけ落ち込んで聞こえた彼女の声が忘れられない。

「あと2年頑張ってみよう」。夜行バスを待つ間に宣言したこと

一体どれくらいの間、一緒に過ごしていたのだろう。
彼女が来てから見送る日までの日々は、今でも忘れられない。

最後の日、夜行バスを待つまでの間にふたりでゆっくり話をしたことを覚えている。
「私、もう少しがんばってみるよ」
「あと2年がんばったら今の仕事辞めちゃってさ、めちゃくちゃ高いホテルに泊まってお祝いしようよ!」
別れるのがさみしくて、いつになくはしゃぐ私と静かに話を聞いていてくれた彼女。
それでもタイムリミットが近づくのと同時に、私の涙はいよいよ止まらなくなっていた。

バスに乗り込む彼女と、見送る私。
ぼやけた視界から彼女を乗せたバスが見えなくなるまで見送った。見えなくなったあとも、ひとりでしばらく立ち尽くしていた。
電車では人目も気にせずしゃくりを上げ、何度も鼻を啜りながら歩いて家まで帰った。

果たせなかった妹への宣言。それでも私は前を向き前に進む

結局、最終日に宣言したふたつの言葉は実現することはなく、休職期間を経たのちに私は会社を辞める選択をした。
確かにいろいろなことはあったけど、現在進行形でちゃんと私は生きているし、新たな道に進むため、今もまたもがいている。

ギリギリまで溜め込んで、本当にダメだと思ったときにしか人に頼れなかった私に、頼っていいこと、そして頼らせてくれた彼女。
気まぐれで、マイペースで、能天気で、本当にどうしようもないなぁと呆れてしまうときもあるけど、誰にも変えることのできない大切な存在。

今度こそ苦しいときに「苦しい」と、自分から言葉にできる日が来てほしいと切に思う。
苦しんだあとじゃなくて、そのときに。
幸いなことに、私には頼らせてくれるひとがたくさんいる。
頼らせてもらえるから、誰かもまた、誰かに頼ることができるのかもしれない。
そんなことを考えるきっかけをくれた彼女と次に会ったら、すこしお茶会なお店で中身のない話をのんびりしたいと思っている。