九月下旬から看護学実習が始まった。コロナ禍のため、学生も教員も、病院の職員もピリピリしていた。
看護学実習は激務である。実習について先輩に聞くと、口をそろえて「きつい」と言葉をこぼす。睡眠時間は少なく、起床時間は早い。これは、人の命を預かる身として当然のことだ。
しかし、きついものはきつい。
そんな中でも、私は楽しみにしていることがあった。十二月に予定されている定期演奏会だ。私は大学で交響楽部に所属しており、そこで一曲弾くことになっていた。
その曲は卒業式に我が部が演奏する曲のため、途中入部の私は周りと比べてスタートが遅れていた。その差を埋めるため、実習が始まる前、つまり夏休みから自主練習を行っていた。昨夏、新型コロナウイルスの流行度合いを鑑みて、私は帰省しなかった。一人暮らしで、友人が帰省している中、バイトと練習に励んでいた。
そして、実習期間中に行われた初練習。私は前回の公演でコンサートミストレスを務めた先輩の隣にあてがわれた。正直に言うと、二割も弾けなかった。楽譜を追うことで精一杯だった。終了後、その先輩が苦笑いしたことが妙に心に影を落とした。
激務の看護実習中に両立出来なかったバイトと部活。私は父に頼った
それから、もっと練習しなければ、と焦り始めた。
ある日のこと、私はバイトと部活の時間がかぶっていることに気づいた。バイトは実習前から予定していたもので、今更変えるのは難しかった。また、実習期間中にバイトに入れるのは私にとって貴重だった。そのため、パートの先輩にバイトがあるため練習を休むと伝えたのだ。
その返信は、バイトで部活を休むことは禁止だ、というものだった。途中入部の私に説明がなかったらごめんね、とも書かれていた。
今考えれば軽く流せることなのに、当時の私にとってそれは衝撃的なものだった。そのときはどうしても流せず、つらい、どうしよう、という思いが心を占めていた。
焦った私は、父に助けを求めた。父も大学生の時に交響楽部に在籍し、コンサートマスターを務めていた。私が同部に入ることを喜んでいたため、真っ先に脳裏によぎったのは父の顔だったのだ。
私は泣きながら父に電話をかけた。父は私の話を聞くと一言、「今回出るのは諦めた方がいい」と。その言葉を聞いた私は、イラっとした。今まで頑張ってきたんだ、父を見返してやろう、と父の言葉を聞きながら考えていた。
「今この瞬間に集中しなさい」。心が悲鳴をあげた私に父が言ったこと
しかし、翌日、父の言葉がすっと心に入ってきた。そして、部活の先輩に辞退することを伝えた。
数日後、私はそのことを伝えるために父にもう一度電話をかけた。辞退したことを伝えると、「社会人になってからも演奏できる。今すべきことに集中するんだよ」と言葉をかけてくれたのだ。
最初に電話したときには流れていった父の言葉がしっかり頭に入ってきた。辞退した、と父に伝えたこのとき、私の心は軽くなった。
公演を辞退した私は、なんとか実習を乗り切ることができた。
泣きながら父に電話したとき、私は実習と部活のことで心がパンクしていたのだと思う。
心と体に余裕のある今なら「すみませんでした」の一言で済むことだった。しかし、そのとき父に頼ったことで、私は自分のやるべきことを今一度見つめ直すことができた。
また、自分の心と体の容量が思っていたより少ないことにやっと気が付いた。それから、私は自分一人で物事を引き受けて行うのではなく、友人に任せること、家族をはじめとした周りにいる優しい人に頼ることを覚えた。
「今この瞬間にしかできないことを」。父に頼ったあのときについて思いをはせた今、この言葉が胸に浮かんだ。そして私は今この瞬間、自分の目標に向かって、歩んでいる。