子供のころから正義感が強く負けず嫌いで、男女差別に敏感だった私
私は昔から男女差別に敏感だった。そして、女性だからという理由で何かを諦めたり、誰かから不当な扱いを受けたりすることは絶対に嫌だと考えていた。
いったいいつ頃から、何をきっかけにしてそうなったのかはよく覚えていないが、子供のころから正義感が強い上に負けず嫌いだった。男に負けてたまるか、と今思えばかなり肩肘張って生きていたと思う。
しかし、ある小さな、しかし印象的な出来事が、男女共同参画社会の本当の意味とは何か、ということについて考えるきっかけとなった。
当時の私は、椅子を男子に渡したら負けだと思っていた
中学3年生の春のある日、体育館から4階の教室までパイプ椅子運びをすることを掃除班のメンバーと共に命じられた。とりあえず全員が1人2個のパイプ椅子。お、重い。そこまで体格が良いわけではない私にとってはかなり重かった。
男子の背中はとうに見えなくなり、他の女の子たちはそこまで重そうなそぶりも見せず楽しそうに話しながら運んでいく。一人取り残されてしまったが、どうしようもないので休み休み運んでいく。重いものを運ぶとカロリーが消費されると聞いたことがあったので、それを心の支えにえっちらおっちら階段を上る。
ようやく先に進んでいた他の女子の背中が見えたとき、先に運び終わった男子が戻ってきて、運び途中の椅子を受け取り、「ありがとう!」とにっこりした彼女たちはさっさと引き返していった。
あ、良いな!羨ましいという思いが浮かんだ。と同時に、でも、ここで椅子を男子に渡してしまうなんて何だか負けた気がする、といつもの負けず嫌いが頭をもたげた。女の子でも、いや、女の子だからこそやりきらなくては。媚びるようなことはしたくない、などなど複雑な思いと2つのパイプ椅子を抱えてよろよろ進む。たかが椅子運び、されど椅子運び。
2階まで来たところで、もう一度戻ってきた男の子の1人が支援を申し出た。が、自分で運びたい。ここでお願いしてしまえば確かに楽だけれども、でも、それは相手の男性の優位性、自分の女性の劣位性を自ら認めることになるんじゃないか、と再び思う。大丈夫、と断るとさっさとその子も行ってしまった。頑固すぎる当時の私。
よっぽど重そうだったのか、通りがかった先生や見ず知らずの下級生にまで心配されながらも3階まで来た。あと1階、と休んでいたところ、もう1人の男の子が戻ってきた。「あ、運ぶよ」と言うと私が断る間もなく、軽々と階段を上って行ってしまった。あ、最初からこうすれば良かったんだな、とあっけにとられてその後ろ姿を見送った。
本当の平等、本当の自立。椅子運びで考えた、この社会での生き方
作業の全体効率を考えると、どう見ても各自の得意分野を担当し、お互いに助け合ったほうが早い。得意不得意や先天的な能力の差を互いにカバーしあうことこそが、社会活動の基本である。全体の統計的な傾向として、少なくとも男女間には体格などを含めいくつかの差がある。苦手なことに関して相手の支援を受け入れることや、得意な分野で逆に相手を助けることは、決して恥ずべきことではないのだ。本当の平等、本当の自立という問題は男女間のものに限られるものではない。
男女関係なくそれぞれ2つずつパイプ椅子を渡した先生、自分の苦手なことと相手の得意なことを見極めて適切な支援を受け入れた他の女の子たち、手助けしようとしてくれたものの私の意思を尊重してくれた1人目の男の子、途中で応援してくれた人たち、有無を言わせずにさっと手を差し伸べてくれた2人目の男の子、最後まで頑張って運ぼうとした私。たかが椅子運び、されど椅子運び。男女共同参画社会。この社会で、私はどう生きていくべきなのだろう。