「信じることは悲しいこと」それがいつしか私の信じることになってしまった。
いつからだろう、人の善意を裏があるものとみなしてしまうようになったのは。褒められてもまっすぐに受け取れない。裏切られて傷つくくらいなら最初から喜びもいらない。悲しみのリスクを遠ざけたい。
そう考えるようになって何年も経っていた頃に彼女と出会った。

いつも私を肯定してくれる彼女に「この人は裏切らない」と思えた

出会いは大学2年生の春、アカペラサークルだった。
人のことを信じられない私は、もちろん自分のことも信じていなかった。でもそんな自分を変えようと、新しいサークルに2年生から途中入部した。

歌は私の唯一の誇れるものだった。そのため主旋律を歌う「リードボーカル」に立候補した。たまたま一緒のバンドになった彼女はコーラス担当だった。
練習で会うたびに彼女は私を褒めた。
「その歌声大好き」
「一緒に歌えて本当に嬉しい」
彼女の言葉はどれもまっすぐだった。

自分の誇れるものである歌を褒めてもらえて本当は嬉しいのに、それでもやっぱりどこかでバカにされているんじゃないか、怖くなってしまい流してしまう。
それでも彼女はめげずに私を褒め続けた。いや、私という存在を肯定し続けてくれた。いつのまにかサークル内でも、私がツン担当で彼女がデレ担当という構図が出来上がった。

そのころには本当はとっくにわかっていた。「この人は絶対に私を裏切らない」ということが。あとは私が彼女から私に向けられた言葉を100%で受け取れるかどうかだった。

私と似ている彼のことを「変えてあげたい」と思うも、現実は難しくて

そんな中、私は自分とよく似た彼に出会った。
「信じて裏切られるくらいなら最初から信じないし、それで喜びを受け取れなくてもいい。受け取ったと思った喜びが絶望に変わるほうが嫌だ。だから俺は人を信じない」
彼のいう言葉に私はむっとしてしまった。でも、むっとしている自分がいることに驚いた。
気づけば私はまた、人を信じたいと思える人間になっていた。

そう、彼が言うこともとても理解できる。でもそれはきっと一度傷ついた後で再び信じさせてくれる人にまだ出会えていないだけ。信じたことが間違いじゃなくて信じた相手がたまたま彼の誠意に答えてくれなかっただけなのだ。

そんなことを考えると同時に、私は彼のその思いを変えたいと思った。
彼女が私を変えてくれたように、信じることはそんなに悪いことじゃないよと伝えたい、そう思った。

とはいえ、私は『私にとっての彼女』みたいにはなれなかった。人の本音を受け入れることにさえ時間がかかる私は、伝えることにはもっと時間と勇気が必要だった。
まして相手は過去の自分のような人。心が凝り固まり、傷つくのを恐れて距離を作ってしまう彼にどう伝えればよいかわからず、悩んだ末伝えられないなんてことも多々あった。

私が彼を変えたい、なんて思っていた。だけどそれは私の傲慢だった。中途半端な自信で彼に向き合っていた私はその難しさに心が折れそうになった。
そしてそんな時に浮かんだのはやっぱり彼女の顔だった。私は彼女の考え方、生き様に切実にすがりたくなった。

「信じられないことはもっと悲しい」。彼女に出会って変わったこと

彼女に悩みを打ち明けた。
あなたに出会ってもう一度信じることを始めてみようと思えたこと、だけどその思いを自分と同じような人に伝えるのはとても難しかったこと、ゆっくり時間をかけて全部を話した。
優しくうなずきながら聞いてくれる彼女に話していく中で、私は私なりの伝え方で伝えていけばいいのだと思えた。

静かに私の話を聞く彼女はやっぱり、私のことを肯定し受け入れてくれるようだった。そんな彼女の存在に背中を押され、私は自分を信じ、自分なりの伝え方で彼に向き合う覚悟ができた。

私は彼女に出会って変わった。
「信じることは悲しいこと」確かにそうなのかもしれない。
でも「信じられないことはもっと悲しいこと」きっとそうなのだ。
そう思わせてくれた彼女は私のことをいつでも肯定し、受け入れてくれる存在だった。
私も誰かが切実に頼ってきた時、その人を肯定し受け入れる存在でありたいと強く思う。