小説家の夢を捨てて、やみくもに就活した

「あなたを物でたとえてください」
面接官の投げかける質問は、もはや大喜利のようだ。隣の就活生が至極凡庸な回答をしたのち、私の番が回ってくる。
「はい、私は電車の吊革だと思います」
鉄板ネタを撒くと明らかに食いついてきたので、私は勝ちを確信した。
大学四年生の春先のこと、私は当初心配していたよりもはるかに順調に面接をこなし、内定ももらっていた。そのほとんどが営業職で全国転勤のある企業だった。

そもそも、私の子どもの頃からの夢は小説家になることだった。試験を受けてなれる職業でもないし、新卒で目指す仕事でもない。なにかをすれば必ずなれるというコースはない。
子どもの頃に読んだ「13歳のハローワーク」では「囚人でも老人でもなれる、人生最後に目指す職業」というようなことが書いてあり、幼心に絶望したものだ。
20歳ごろ、急に将来が目前に迫ってきて、私は恐ろしくなりそんな夢などかなぐり捨てて、やみくもにインターンシップなどに精をだした。おかげですんなり内定を取れたが、残ったのは恐怖心だった。

内定は取れたが、将来への不安に押しつぶされそうに

そもそも私はまったく有能ではない。高校のときには「そそっかしい」と委員会の顧問の先生から苦言を呈され、大学のアルバイト先のカフェでは鈍臭くてどやされてばかりいた。
私は本当にこの仕事をするのだろうか。結婚したとき転勤になって辞めざるを得なくなってしまったらどうするのだろう。産休をとれないとしたら?
なんらかのきっかけで職を失うことが不安で仕方なかった。

当時の彼氏は激務で有名な企業に勤めており、私の内定先の取引先でもあったので、「その業界は大変だぞ」と実情を教えてくれた。彼氏も普段から夜11時に退勤するような毎日で、私もこうなってしまうのかと思うと正直気が沈んだ。
仮に家庭をもったら崩壊するのは目に見えていた。寝ても覚めても気分が暗く、地獄のような日々だった。

その頃にはもう大学の授業もゼミ以外なく、サークルも引退していたため、人とのつながりがほとんど絶たれていた。周りは旅行に遊びにと浮かれた空気が漂っていたが、私には全く共感できなかった。お金のためにもアルバイトを再開しようかと悩んでいる頃だった。

駆け込んだキャリアセンター。職員さんの言葉にハッとした

やはり不安が拭いきれず、大学のキャリアセンターに駆け込んだ。思い詰めていた私に、職員さんはこう諭してくれた。
「一度、企業選びの軸を整理してみたらどうでしょうか」

確かに、私は自分が企業を選ぶという発想がすっかり抜け落ちていた。誰かに選ばれなくてはならないとばかり考えていた。
「ここのブースにどうしてティッシュが置いてあるか知ってますか?やっぱり就活っていろいろな人生の岐路になるから、ここへ来て泣いてしまう子もたくさんいるんですよ」
私はそのティッシュを見て少しじんとした。
帰り道、私は再び就活サイトを開いた。
周りの華やいだ空気の中、またリクルートスーツで駆け回ることになろうとも、もうこんな気持ちになる就活はしない、と心に決めながら。