昔から飽き性で、好きなキャラクターはころころ変わっていたし、習い事も続かなかった。
だけど、中学生のころから描いていた夢だけは、10年近い時を経ても変わることなく、私を支え続けてくれた。
21歳の時、私は長年の夢を叶えて看護師になった。
県内でも名の通る中枢病院に就職した私は、数ある配属先の中から、幸運にも希望の病棟に入ることができた。
私の所属部署は一般的には未熟児センターなどと呼ばれ、低体重や早産で生まれた赤ちゃん、病気や障害を抱えて生まれてきた赤ちゃんと家族を支える病棟だ。
未熟児センターでの仕事は、子供好きの私には大変だけど楽しい
地域の周産期を担っている病棟に配属され、求められるものも乗り越えなければならない試練も多かったが、元来子供が好きで好きで仕方がなかった私にとって、毎日赤ちゃんと触れ合えるこの仕事の代わりになるものはなかった。
ぬくぬくとした赤子を腕に抱き寝かしつける瞬間は愛おしさであふれていたし、初めて赤ちゃんが自分に笑いかけてくれた時のことは今でも忘れていない。決して要領の良くない私は欠けているものも多く、看護師としての才能には恵まれていなかったかもしれないけれど、この仕事が好きだと日々感じていた。
日常のふとした雑談で職業を伝えると、大変でしょうと言われることも多かったけど、そんな時に言う答えはいつも決まっていた。
「大変だけど、赤ちゃんかわいいし楽しいです」
確かに、新人の頃は業務に追われ、赤ちゃんたちをかわいいと思う余裕がない時期もあった。ただただ自分が先輩に怒られないためにこなしていたことも多く、正直思い出すと心苦しくなることもある。
だけど、生まれた時から両親と離れて暮らす彼らに、ミルクを飲ませ、抱き上げ、お風呂に入れる、まるで育児の日常を味わえるような業務にはたくさんの喜びがあり、この答えは私にとっての本心だった。
「かわいいから、いい」。私より先にこたえる母に、こみあげる感情
就職して2年目の終わり、親族が集まる席で、大叔父が聞きなれた質問を私に尋ねた。
「仕事、大変じゃなかと」
「赤ちゃんがかわいいから、いいんよね」
私が答えるより先に答えたのは、母だった。
確かに私は、赤ちゃんたちが好きで、実家へ帰っては仕事で赤ちゃんたちの可愛かったエピソードを披露していた。だけど、いくら赤ちゃんがかわいくたって、医療の最前線にいれば、夜勤をしていれば、女社会で働いていれば、仕事をはじめてまだ2年であれば、つらいことや悲しいこと、逃げ出したくなることも数え切れないほどあった。
誇らしげに答えた母の隣で、私はこみあげてきた思いを吐き出せずにいた。けれどそんな母の言葉に間を置かず、大叔父はいつもの優しい口調で続けた。
「ばってん、いくら赤ちゃんがかわいかって言っても、大変な仕事に変わりはないと」
この時自分がなんて答えたのか、覚えていない。だけどこの言葉は確かに私を救ってくれて、あふれてきそうな涙を、その場の雰囲気を壊さないために必死でこらえたのを覚えている。
大叔父の言葉は、単に仕事を頑張ることだけじゃなく、仕事を好きでいる私ごと私を認めてくれた気がした。
自分を一番誇りに思うことは、仕事が好き・楽しいと思えるこの気持ち
一般的にも厳しい仕事と呼ばれ、友人や同僚にも、仕事を楽しい・好き、と言う子はまずいなかった。
夢を叶えたことより、大きな病院で働いていることより、誰かの力になれるよう頑張っているより、私が自分を一番誇りに思っていいことは、仕事が好き・楽しいと思えるこの気持ちなのだと思う。
私は、迷わずこの仕事が好きと答えられる自分が好きだ。夢を叶えてこの仕事に就いたことは、単に収入ややりがいだけでなく、私の知らなかった新たな私の強みを見つけるきっかけになったし、自分の中にゆるぎない誇りを与えてくれた。
その後、結婚を機に病院を移り、思い描いていた夢とはまったく違う部署で今の私は働いている。
仕事が好きな自分でいられなくなることをずっと恐れていたけれど、今の職場でも、仕事を楽しいと思って働けている。
だけど、人としても少し成長した今なら、それは自分だけではなく、病院の環境や支えてくれる周囲の同僚・先輩方のおかげだということも前よりよく分かる。
仕事が好き。そして、仕事が好きと答えられる自分も好き。
その気持ちと支えてくれる優しいみんなが、今日の私をつくってくれている。