私が誰かを切実に頼ったとき、それは昨年にとった約半年間の休職期間だ。
ストレス過多で心身の健康を崩した私は、自分で自分の世話ができない状態になり、誰かを頼らざるを得なくなった。そして、その経験が「孤独」や「自立(=他者に依存せずにひとりで立つこと)」に対する私の考えを変えた。
「自分のことは自分でなんとかする」の信条のもとに生きてきた私
子どもの頃から人に甘えることが苦手だった。親や友人にあまり相談せず、人生のあらゆる局面においてひとりで決断をくだしてきた。
「人生は基本ソロプレイ。そして他人は他人に無関心。だから自分のことは自分でなんとかするしかない」
これが私の信条だった。
体調を崩すまではこの信条の下、ひとりで楽しくやっていた。
働いて賃金を得て、自炊をし、洗濯をし、休みの日には自分なりにおしゃれをして出かける……。ひとりで生活を切り盛りする日常には、他では得られない自由と充実感があり、私はそれを愛していた。
しかし、ある朝、私は吐いた。身支度を整えてさあ仕事に行くぞというタイミングで洗面台に嘔吐した。
病院で検査してもらったけれど胃腸に異常はなく、ストレスからくるものだろうと言われた。仕事のことを考えると気持ち悪くなって吐いてしまう、その状態には「適応障害」という名前がついた。
実はストレスが嘔吐となってはっきりと現れるずっと前から、不調は感じていた。頭がぼーっとしてうまく働かなかったり、人と話すと背中に変な汗が流れたり、理由の分からない涙が出たり、全く眠れなかったり……。
嘔吐に至るまでそんな状態が半年以上は続いていたから、とうとう体がギブアップしたのだろう。
何もできない日々に、恋人は美味しい料理を作ってくれた
休職して数ヶ月間は本当に何もできなかったから、食事やお風呂以外は部屋の真ん中に寝転んでじっとしていた。
さあ今日は何を作ろうかとワクワクして立っていたキッチンに、体を引きずりながら向かうようになり、食事の大半はレトルト食品か、ごく簡単な炒め物になった。その頃の私はただ栄養を摂取するためだけに食事をしていた。
大好きなエンタメ作品にも一切触れられなくなったけれど、かろうじて読書だけはできたからYouTubeで雨音を流しながら一日中本を読んでいた。
ひとりでは真っ当な生活ができなくなったそんなとき、私を助けてくれたのが恋人のMだった。
Mはまともな調理ができない私のために、いつでも美味しい料理を作ってくれた。
「食べたいものがあったら言ってくださいね、何でも作りますから」という言葉通りに、スパイスカレーもカツオの竜田揚げも塩角煮も天ぷらもジャガイモとたらこのパスタも餃子もウィークエンドシトロンも、本当に何でも作ってくれた。
普段の食生活で失った体重が、Mの家に行くとしっかりと戻って、実際的な意味で私はMに生かされていた。
誰かを頼らねばならないときは訪れるから、少しずつ甘え上手になろう
精神的な意味でも私はMに助けられていた。自分ではどうにもならない悲しさや不安が襲ってくるとき、Mはいつも側にいて私の話に耳を傾け、そして抱きしめてくれた。
こんな風に誰かに頼ることは、ひとりで自分の感情を見つめ、言語化して消化してきた過去の私からすればあり得ない出来事だ。
でも、その途方もない不安や悲しさは、ひとりでは到底持ちきることができない大きさのものだった。どうしようもない悲しさや不安に捕らえられた私にも、Mは戸惑うことなく寄り添ってくれた。
Mがいなければ私は東京の街でひとり、くしゃっと潰れてしまっていたかもしれない。Mには感謝しても仕切れない。
誰かを頼らざるを得なくなって気づいたことは、「孤独」や「自立」は、期間限定の特権的なものであるということだ。
あらゆる物事をひとりで完結させるためには、健康とある程度のお金が必要だ。けれど、それらはいつ失われてもおかしくない。
例えば、不意の事故で健康が損なわれると働けなくなる。働けなくなったらお金はすぐになくなる。働いても生活に十分なお金が稼げない場合だってある。
そして何より、事故なんてなくても、健康は老いとともに必ず失われる。誰かを切実に頼らねばならないときはきっと将来、私を含めて多くの人に訪れる。
私はひとりの時間が好きだし、自立を捨てたい訳ではない。でも、甘え方を知らないまま老いてしまったら、どうにかしたいのにどうにもならないという状態に陥ってしまうかもしれない。
だから私は今、人に頼る練習を少しずつ始めている。その時がまた来たら躊躇いなく人を頼れるように、ちょっとずつ甘え上手になっていきたい。