日本では「女は愛嬌」という。「奥ゆかしい」とも、「一歩引いて男を立てろ」ともいわれます。かくいう私は、その愛嬌もなく、男を立てられたことがあるかもわからず、奥ゆかしさには程遠い「万年活発少年」。

私が美しいと思う女性は、大きなトラックを乗り回している

幼少期には典型的な昭和の厳しい父母に育てられ、やれ言葉遣い、やれ食事のマナー、股を開くな、ちゃんとした格好をしろなどなど、本当にたくさんの躾を施されました。家族と離れ一人暮らしになると、その我慢が爆発するかのように少年化は加速しました。
まったく役に立っていないかと言われると、いつまでも古めかしい日本社会です。恥ずかしい思いをすることは減るのかもしれません。しかし、そんな社会にさえ疑問が尽きないほど私はわきまえない女でした。

そもそも、奥ゆかしさとは一体なんなんでしょうか。せっかくの機会なので検索してみました。奥ゆかしさとは、「慎み深く上品で心がひかれる」「こまやかな心配りが見える様子」。

私は大きなトラックを、男の人に紛れ乗り回している人を知っています。かくいう私はその人に憧れ、運転免許をマニュアルで取りました。
実際その人はなんでも一人でやってのける、自立した女性です。どんな格好をしていようと、どれだけ男性が多い職業に就き、「あいつは男らしい」と世間が言おうと、彼女こそが本当に美しい女性だと私は思います。

愛嬌のない自分に劣等感を感じたり悩んだりしたことも

そして何より、男性と同じことに触れている彼女だからこその細やかな心配りがあり、そんな彼女に心が惹かれ、憧れるのです。奥ゆかしさとはどんなに遠くとも、私がなりたい女性像は彼女のような、世間一般的には男らしい女性です。

愛嬌なんてものも私は持ち合わせていません。
もともとリアクションが薄め、張り付いた仏頂面、逆に嫌なことは顔に出てしまう。人からのプレゼントへのリアクションもとても下手くそです。周りの女子が高い大きな声で可愛らしく喜ぶ様子を見ていると、不思議でなりません。
しかも、メールやSNSのメッセージで一人一人にお礼を送るほどマメなわけです。私には、そのマメさもありませんでした。

しかし、男性がそういう女性を好むのも事実であり、何度か注意をされたことも、私のリアクションを諦めていると言われていたことだってあります。劣等感を感じたり悩んだりした時期も、もちろんありました。夜に一人で反省会を開き、「こう言った方が喜んでくれたんじゃないか」と思ったこともあります。

一言に「女性」と言っても、世界にはいろいろな人がいるから

しかし、もう、向いていないものは向いていないのです。そういうことは、向いている人に任せればよろしい。
それよりも私は、自分の本当に好きな人たちへの一個一個のありがとうを大切にすること。自分の好きなように、自然体でいられるようにすることを大切にし始めました。
すると不思議と周りに喜ばれることも増えました。今の私を、私は結構気に入っています。

現在、世界には78億の人間が住み、その約半分は女性なわけです。そんな中で「わきまえている」という女性はどれほどいるのでしょうか。一言に「女性」と言っても本当にたくさんの、いろいろな女性がいます。
その中には私のように、「女性らしさ」が向いていない女性も世界中にいるし、吹っ切れずにモヤモヤと日々を過ごしている人もいるのかもしれません。

吹っ切れた私は言えます。
「自分らしさと大切な人への正直さを大事にすれば、わきまえない女だって大丈夫。むしろこっちの世界は相当居心地がいいぞ!!!」