私は誰にも頼らない。
むしろ頼られる方だ、と息まいていた少し生意気な頃の私の話をしようと思う。
「私は出来る」という心持ちと、比例しない成績。自分を追い込んだ
高校を卒業したものの、どこにも合格がもらえず、自動的に浪人が決まった数年前の冬。
私はどんな人間だっただろう。
もともと責任感が強く、自立心が強かった私は、それまでの人生の中で人に甘えること、頼ることが苦手だった。
何か部活でやらなきゃいけないことがあっても他人に任せることが苦手で、自分でしょい込んで、追い込まれる。そんな人間だった。
しかし、自分はできる人間だ、と思い信じ続けていた私の自尊心は受験失敗で砕かれた……と思いきや、そうでもなかった。
受験勉強をやり切れていないと思っていた私は、来年こそは、と思っていた。
浪人生活は毎日予備校に通って勉強。毎日!
わざと友達のいない予備校を選んだ。でた、私の自分を追い込む癖。
結局、勉強してるのにずるずると成績はあがらず、冬になった。
少し偏差値の高い高校に行っていたから、変にプライドだけがついていた私は、ずっと「私は出来る」という心持ちと、比例しない成績を抱えていた。
そのまま、受験を迎えた。
「それで?」。父の一言は、今まで感じたことのない感情を引き出す
センター試験、撃沈。
でも、案外心は沈まない。
滑り止め、解けない。
ここでちょっと焦り始める。さすがに2浪は笑えない。
2校目、大学受験で初めて「出来た」って感覚。
この後、続々と受験が続いていく……。
そして、2校目の合格発表。
「受かった!!!!!」
速攻母に電話した。
涙で声が震えたけど、悟られないようにぶっきらぼうに言った「受かった」。でた、私の他人に感情を伝えない癖。
そして、続々と不合格が重なったが、何とか行く学校が見つかった、と安心していた3月、一本の電話がかかってきた。
繰り上げ合格の知らせ。
満足できる所じゃないけど、いきたかったとこ。
冷静だけど、自分でもよくわからない感情になった。
うれしいという感情なのだろうか?
分からないまま、父の所に行き、受かったと報告をした。
そのときの父の一言。
「それで?」
その言葉は、私が今まで感じたことのない感情を引き出した。
絶望なのか、怒りなのか、悲しみなのか……。
そのまま訳も分からず家を飛び出して、中学時代からの友人に電話をかけた。
「助けてほしい」
これが人に頼ることが苦手な私が、初めて友人に出したSOSだった。
コンビニで私の気が済むまで話を聞いて、全てを肯定してくれた友人
友人はすぐに駆け付けてくれて、深夜のコンビニで私の気が済むまで話を聞いて、全てを肯定してくれた。
正直、「それで?」なんて言葉をかけられることぐらい、今だったら何にも感じないくらいただのレスポンスだと思うけど、それでもその時の私にその言葉は耐えられなかった。
友人も、そんな小さいことでわざわざ呼び出したのか、と思ったと思う。
それでもただ話をきいて、側にいてくれるだけでどんなに私の心の支えになったか。
きっと私は、浪人しても志望校に届かなかった自分を認めてあげることが出来なかったんだと思う。自分に厳しく、自分の頑張りを肯定できない自分と闘っていて、それでも自分の1年間をみていた両親には「よくがんばったね」と私の努力を肯定してほしかったんだと思う。
だけど、心の奥で求めていた言葉と父がくれた言葉の乖離にショックを受けたんだろう。
自分の言葉にできない感情を、どうにもできなくて泣きながら電話をかけてどうにかしてほしいとすがったあの夜。いきなり呼んでも嫌な顔せず来てくれた彼女がいなければ、家を飛び出した後どうしていただろう。
これが自分に厳しい私が、誰かに切実に頼った時。人に頼ることを知った夜。
あれ以来、大学生になった今でも、誰かに頼られたときはすぐに駆けつける、と心に決めている。次は私が助ける番。