社有車で高速道路を走る。ふと、今このスピードでカーブに激突したら死ぬだろうかと思う。
だめだ、それでは車が道連れになってしまう。
朝から夜遅くまで週6日働いていた私は、本当に疲れていた
何か嫌なことがあったから、死にたくなっているわけではない。ただ疲れていた。4月から新たに始めた仕事で、朝6時半から夜8時や9時、週1度は10時くらいまで、週6日働いている。
それでも、休みの日にも人手不足なのがわかっているので、少しだけでも手伝いに行く。昼休みはゆっくり取ることも権利上可能だが、やはり気になる仕事があるので、昼食が終わると早々に作業する。大概は自主的にやっていることだ。
そう、私がやりたいから。希望をもって選んだ仕事だから、中途半端にはしたくない。周りの人たちはいい人ばかりで、役に立てるようになりたいし。疲れてはいるけど、もっと働いている人もいるから、彼らが少しでも早く帰れるためにできることはしたい。
本当に私はこの会社にいてよいのだろうかと思う。どんくさいことばかりで、仕事は遅々として進まないし、単純作業をしている時には仕事以外のやりたいことが頭に浮かぶけれど、どれ一つとして実現する体力と時間がない。でも始めたばかりだし、たぶん時間が解決してくれる。
仕事で疲れた私の慰めは、大学時代の先生のTwitterを見ること
そんな毎日の慰めは、大学時代の先生のTwitterの投稿を見ること。
隣の専攻の先生で、直接の指導教員ではなかった。学界で屈指の研究者、天才肌の先生で、入学当初から興味を惹かれていたが、雲上人のようでなかなかお話しする勇気が持てなかった。
4年生になった時、最後の1年でもあり、その先生の文献講読ゼミが自分の専攻に近かったので、ゼミに参加する許可を求めるメールをお送りした。日曜日の朝6時前だったが、30分と経たずにお返事を頂いた。
驚いたことに、先生は昨年、私が100名規模の大講義に出席していたことを記憶してくれていた。さらに、私が就職活動の都合で初回授業を欠席することに対して、大学院への進学についても言及してくださった。授業で面識を得ると、度々話を振ってくださった。
先生のTwitterアカウントは学生の間で有名だったが、私はその頃まで知らなかった。早速覗いてみると、先生の興味関心や日常生活の場面、孤高の人というイメージの一方で、学生への情に満ち、さびしがり屋な一面を垣間見ることができた。
卒業後もTwitterを介して、日常的に交流があった。先生は、指導学生でもない私の動向にいつも気を配ってくださっていた。そんな先生がご不調の時には、何か力になりたくていても立ってもいられない心持ちになる。
繁忙期だったが、自分が危ないなという感じがして先生に会いに行った
本当につらくなったら、先生に会いに行こう。毎日のように自分にそう言い聞かせて、気持ちを上向かせていた。先生にお会いできれば、元気になれるという確信があった。私には帰れる場所がある。
そして盛夏、仕事の繁忙期に、いよいよ危ないなという感じがした。先生がお忙しいのは百も承知だが、きっとお時間をくださるだろうし、それをさほどには苦にされないだろうとも思った。
先生は即座にご快諾くださり、日曜日にもかかわらず面会くださることになった。その日を楽しみに待つ思いで、仕事の疲れも紛れるようだった。
先生は、30分ほど私の話を傾聴し、大局的な視座をもって、また、私の学術的な関心と今の経験とを結びつける観点からも、激励をくださった。
そして帰りがけに、「何かあったらすぐに連絡してきてください。助けになれることがあったら何でもしたい。いつも心配していますから」と言ってくださった。
憧れてやまない人が、弱った時も、だめな私も、いつでも(きっと、全部)受けいれてくれる。これほど心強く、この世界が、こんな私が、生きるに値すると思えることが他にあるだろうか。
一面でそれは得難いことだけれども、どんなあなたも受けとめたいと願う存在は、多くの人にとって実はそばにいるのかもしれない。