大人の「勉強しておけばよかった」の意味を、全く理解できなかった

「学生の頃もっと勉強しておけばよかった、だから勉強はちゃんとしなさい」と大人は口をそろえてこう言う。
子どもの頃の私にはその意味が全く理解できなかった。聞きすぎて耳が痛くなったし、脅しのようにも感じることがあった。
勉強なんて大変で面白くないし、好きなことだけして遊びたい、宿題なんて御免だ。
そんな風に思いながら、ただ進学するため、資格を得るために与えられたことを淡々とこなしてきた。いや、テストぎりぎりに詰め込み勉強していたかもしれない。
ただその場しのぎの勉強。
何も身になってなかったし、どうせ大人になったら役に立たないのでしょ、とよくあるセリフをもれなく私も言っていた。
もちろん良い点数が取れたらそれなりに嬉しかったし、悪い点数だと落ち込んだ。
でもそれだけ。それ以上に何も魅力を感じない。

そのまま勉強することに意味を見出せずに社会人になってしまった。
大人は勉強しなくていいから早く大人になって好きなことしたいな、なんて気楽に考えながら。

雰囲気に流され、いつしか空っぽな人間に。あの言葉を初めて痛感した

ところが現実は違った。
仕事は学生の頃より、より深い知識を求められるし、学んでいないことまで求められる。
私は医療職だったが、日々変わりゆく世界にしがみつくので精一杯だった。
子どもの頃に想像していた、大人ってものよりはるかに大変だった。
必死に覚えて、仕事後はクタクタに。
家に帰ってからはメモを見ながら復習していた。
でも、疲れがたまってまだまだ勉強しなくちゃいけないのに次第に追いつけなくなっていた。
その後は、知識がなくても毎日のルーティーンを確実にこなせば、上辺だけでなんとかこなせるようになってしまって勉強もしなくなってしまった。
職場の雰囲気にも流され、いつしか、空っぽな人間になってしまった。
私は、職場の人間関係で二度休職し退職したが、何も残らなかった。知識という武器すらも。
たくさん仕事をこなして学べる環境だったのに、自分を甘やかしてしまったのだ。
その時、勉強をもっとしておけばよかったと初めて痛感した。
子どもの頃に聞いていた大人たちと同じことを言っている。やっと理解できた。
大人が勉強しなさい、という理由が。
その時初めて、私も大人になったと感じた。空っぽな大人になってしまった、という苦い経験によって。

「勉強しておけばよかった」はこのワクワクと後悔に気が付いたから

それに気が付いてから私は勉強を再開した。
医療関係の勉強はもちろん、ずっと苦手意識があり克服したかった語学学習やお金周りの勉強を。
そしたらいままであんなに嫌だった勉強が楽しくなってきたのだ。
自分が学びたいという気持ちがあったのが大きかったのかもしれないが、知らないことを知るってワクワクするし、新しい世界が見えてくるのが楽しくてしょうがない。
空っぽな私が潤っていくような感覚だった。

きっと大人が言っていた、「勉強しておけばよかった」はこのワクワクと多少の後悔に気が付いたからなのだろうと。
決して子どもの私たちを脅す訳ではなくて、早く楽しさに気が付いて欲しかったのかな、と今になればそう捉えられる。
幸運なことに20代最後に気が付けてよかった。
勉強の楽しさを知った私は少し大人になれた気がした。
私がいつか自分の子どもができたとき、なんて伝えるだろう。
義務でやる勉強ではなくて、ワクワクするようなそんな勉強ができる環境を作ってあげたい。
そしてこれからも、私自身、興味のあることを学び続けるだろう。