他人より大分遅れてしまったが、昨年、27歳にして新社会人として働き始めた。
経済的な自立を果たし、これでやっと正式に大人に仲間入りできた、と安堵したのもつかの間、ある事に気が付いた。
「あれ、これからの人生って、もしかして自分で動かなきゃ変化ないんだ!」

大人になるとは、人生の責任を自分で持つこと、結果を受け入れること

それはつまりこういうことである。
小学校を卒業すれば中学校、中学校を卒業すれば高校、そして大学、大学3年生の後半になれば就活をし、大学を卒業したら就職……。今までの人生は、何歳までに○○という流れが大体決まっていた。
それがこれからは、仕事を続けるのか、転職するのか、結婚するのか、出産して子育てするのか……。無数にある選択肢を選び、自分のタイミングで人生を切り開かなくてはいけない。
それを人は「自由」とも呼ぶのだろうが、あまりに多くの選択肢を前にすると人は戸惑ってしまうものだ。
自分の人生に自分で責任を持つこと、そしてその結果を受け入れること、その一連の流れを「大人になる」というのかもしれない。

こんなことを考えたのは、クリスマスに彼氏と弟と、あるボードゲームを15年ぶりにやってからだった。
そのボードゲームはかの有名な、1997年の人生ゲームEX版だ(以下、人生ゲーム)。人生ゲームはルーレットを回し出た数字に応じてコマを進め、獲得金額の多寡で勝敗を決定するゲームである。

日々コツコツと生きるしかない今の私にとって、人生ゲームが羨ましい

久しぶりにやって驚くことがいくつもあった。
まずプレイヤーはスタート時に専門職コースとビジネスコースどちらかに進むか決める。高収入を望める専門職コースを選べば、コマが止まらずにフリーターになる可能性がある。しかし、ビジネスコースを選べば専門職コースよりも薄給であるものの、確実にサラリーマンになる。
リスクのある高収入か、確実なサラリーマンか……。昔の無邪気な私は稼げる医者やタレント狙いで専門職コース一択であったが、大人になり就活を通った今の私は非常に悩んだ。いいなあ、人生ゲーム、リスクを取らなければ絶対にサラリーマンになれるんだあ、と。

また、プレイヤーは必ず結婚をし、持ち家を買うのも「普通の幸せ」「普通の人生」の流れに乗れてなかなかに妬ましい。全体のマス目から今の人生がどの位置にあるのか、見通しがついているところも羨ましい。

一日一日をコツコツと生きるしかない今の私にとって、ルーレットの当たり目が良ければ一気に10コマ進んで、人生が進んで早くゴールすると賞金がもらえるのも良いなあと感じた。たまに当たる一回休みの罰も、「スノーボードで骨折し入院一回休み」「テーマパークで渋滞一回休み」「ティーカップで気分が悪くなり一回休み」と呑気なものである。
間違っても私が通ってきた、「受験に失敗し浪人1年休み」だとか「鬱を発症し計4年引きこもり、4年休み」などとというやつは出て来ない。

あくまでゲーム。それが「人生」をプレイし始めたばかりの私の感想

人生「ゲーム」はあくまでゲームであった。それが、まだゲームでない「人生」をプレイし始めたばかりの私の感想だ。でも今回プレイして、2つのことに気が付いた。
まず一つ。人生ゲームにおける人生は就職するところから始まる。つまり「大人」になってお金を稼げるようになってからが人生の本番なのである。
社会人になるまで、いわば「大人」になるまで、私は、それは回りくどく遠回りでしんどい思いをしたが、それはまだ人生の前章にすぎないのだ、と。大人としての人生は、本番の人生はこれからですぜ、辛いこともあるが楽しいこといっぱいありますぜ、とゲームから応援されたような気がした。

そしてもう一つ。人生ゲームは獲得金額の多寡で勝敗が決まる。
昔の私は100万ドル稼げた、やったー!勝った負けた!で盛り上がっていたが、大人になった私はちょっと待て、とストップをかける。
人生は稼いだお金の総額の多寡だとか、勝ち組負け組だけじゃない。それだけでくくれない何かこそが人生を豊かにする。結果より過程こそ人生。勝敗が人生?それだけじゃないよね、と言えるようになっただけ、私はもしかしたら大人になったのかもしれない。

そんなことを思いながらも、人生ゲーム自体は彼氏に負けて2位だった。負けて悔しく不機嫌になった。
精神的に大人になるって難しい。私の大人への距離は、まだまだ遠い。