私は20数年前、一人っ子の長女として生まれました。運動は苦手でしたが幸い勉強の才には恵まれ、そのおかげかそのせいなのか、私は家庭でも学校でも「しっかりした子」と思われていました。
例えば、小学校の入学式で全校生徒の前で入学の挨拶をしたとき。作文で県代表になったとき。周囲の子に勉強を教えていたとき。幼少期から中学にかけて「しっかりした子」という自己像を確立した私は、地元では一番の(自称)進学校のK高校に入学しました。

勉強が私よりできて彼氏もいる友人のそばで、上がっていく相槌のスキル

そこで私は、舞(もちろん仮名)と出会います。舞はクラスが一緒で席が近く、一緒に茶道部の見学に行ってそのまま一緒に入部しました。
舞はとてもとても勉強ができる女の子で、成績上位者としていつも名前が掲示されていました。私が「数学赤点じゃなくて良かったな、平均取れるようになりたいな」なんて思っていると、舞が私に言うのです。
「ねぇ、今回数学の平均低かったよね、もっと高いと思ってた」
「あと5点で満点取れたのに!」

また舞は、あなたは何点だった?と直接的に聞いてくることは一度もありませんでした。私が舞と比べてすごく勉強ができないことは、舞もよく知っていたからだと思います。
また、舞には「彼氏」がいました。周りから見るととてもそれは彼氏彼女の関係ではなかったのですが、舞が告白して彼が「いいよ」と答えたという事実はあったので、舞には彼氏がいました。
舞はいつも彼氏がいかにすごいかを話しました。話を聞けば聞くほど、やっぱり恋人関係には思えなかったのですが、いわゆる「いない歴=年齢」で容姿や女子力には自信が皆無だった私が何を言っても嫉妬だと思われそうで、やっぱり私はうんうん、そうなんだー、すごいねと相槌のスキルだけ上がっていきました。
自分の気持ちを押し殺して表面的に相槌をするときは、胸の中が黒く塗りつぶされていくようでした。

彼女にも言わず退部を決断。顧問の先生から返ってきた意外な答え

ある時、茶道部の先輩たちが高校3年になった春、部活を卒業しました。元々部員が少なく、新入部員が入らなかった茶道部員は私と舞と顧問の斎藤先生だけになりました。
斎藤先生は古典担当の、穏やかで少しだけお茶目な若い女性の先生でした。斎藤先生とは好きな漫画、音楽の話をしたり、かっこいい「推し」の先生の話までしました。一人っ子の私は、少し年の離れたお姉さんのようにも感じていました。
斎藤先生との部活は癒しの時間でしたが、舞と話すのはどんどん苦しくなっていました。大学受験がせまって学業に悩んでいた私は、舞の話を聞き流せなくなっていきました。17歳で初めてできた彼氏のことは、舞には言いませんでした。

高校2年の冬、私はある決断をします。
「そうだ、部活をやめよう!」
どのみち茶道部卒業まで数か月でしたし、私がやめるということは部活を廃部にするということでしたが、私には彼女と2人で新入部員勧誘をする気力が残っていなかったのです。
退部についての相談ではなく、「決断」を斎藤先生に伝えました。すると意外な答えが返ってきたのです。
「舞さんのこと、いつも我慢してないかなって気になっていた。助けてあげられなくてごめんね」
斎藤先生は、ちゃんと私のことをわかってくれていた。私が一人で我慢していると思っていたけれど、私の我慢をわかってくれていた。そんな思いが私の心にじんわり広がったのを覚えています。

号泣しながら今までのことを告白。先生はほとんど知っていた

斎藤先生は土曜日にわざわざ時間を作ってくれました。2人だけの教室で、私はこれまでの舞とのことについて話しました。舞の悪口を言ってしまうみたいで、今まで言えなかったことを全部話しました。
でも、私が話したほとんどのことを斎藤先生は知っていました。話すうちに私は大号泣しました。人前で泣いたのは幼稚園以来だったように思います。
そして気づけば、斎藤先生も大号泣していました。「これまで部活がんばってくれてたね。あなたがいなかったら部活は成り立たなかった」と言ってくれました。
斎藤先生は、「ここで部活をやめるのはもったいない、ここでやめたら卒業アルバムに部員メンバーとして載らない」と言いながら、再び泣いてくれました。そして、「在籍はするけど活動には参加しない」という特例を斎藤先生が計らってくれました。
私自身は静かに茶道部から消えていく覚悟をしていたというのに。

余談ですが、友達にも舞とのことを話してみました。舞の悪口をいうみたいで変な罪悪感が生まれました。でも友達は「舞と付き合うのは大変だと思うよ。一緒にいて大丈夫なのかなと思ってた」と言ってくれたのです。斎藤先生だけじゃありませんでした。

高校の卒業式。2度目の大号泣で斎藤先生との別れを惜しんで以来、斎藤先生には会っていません。もう会うこともないかもしれません。
でも、斎藤先生はきっと、今もどこかで「頼る勇気のない高校生」に頼る勇気を与えているのでしょう。