第一志望はE判定。ランクを落とすことは自分に負けるようで嫌だった

大学入試センター試験。当時はまだそう呼ばれていた。高校三年生だった私は、センターリサーチを前に、途方に暮れていた。
春からずっと第一志望としてきた大学の判定は堂々のE。同じ大学を志望する受験生の得点率分布を示したグラフを見ても、自分の順位は下から数えた方が早かった。要するに、望みは限りなく薄いということである。
浪人は避けたかった。あと一年この生活を続けるなんて、精神的にとても持たないと思った。

どの大学に出願すればよいのかわからなくなり、今更のようにあちこちの大学を検討した。そして、元々第一志望としていた大学と、そこから少しランクを落とした地方大学の、二校にまで絞った。が、それから先が進まなかった。

そもそも第一志望の大学にそれほど行きたかったのかと問われれば、その答えはノーだった。半分大学名で選んだようなものであり、受験を予定していた学部のオープンキャンパスでの印象は、どちらかといえば悪かった。

当時私の中で最大かつ究極の問題は、もはや、どこの大学に行きたいかということではなくなっていた。そもそも個々の大学についての知識に乏しかった私は、行きたい学校を自ら選定するだけの材料すら、持ち合わせてはいなかった。
私にとって重要だったのは、一度自分で設定した目標を、最後まで追い続けることができるかどうか。そこに自分でも驚くほど固執していた。志望校のランクを落とすということは、弱い自分に負けることと同じような気がして嫌だった。

居場所の良い場所を探すも、決断ができない私は母に助けを求めた

第一志望に受かる確率は限りなく低い。しかしゼロではない。
いやここはきっぱりと諦めて、ランクを落とす方が身のためか。
でもそれでは自分に負けたことになる?それに、受験校を変えたところで確実に受かる保証はない。

頭の中で激しい論争が繰り広げられたが、一向に解決は見えてこなかった。自分の未来は自分で決めろ。そんなことはわかっていたし、堂々とそうできる環境にいるということが、どれほど恵まれているかということも、少しはわかっているつもりだった。

しかし、どうしていいものやら。今の自分の選択が後々人生そのものを左右するかもしれないと考えると、決断を下すのが怖くてたまらなかった。自分には、まだそんな決断をするだけの心の用意はないと思った。
大学一つで全てが決まるとは思わないが、あの時期は、受験が自分の全てを支配していた。翌年の居場所をなんとかして確保しなければならない。それも、できれば自分にとって、より居心地の良い居場所を。それが全てだった。
でもその居場所が一向に見えない。私は改めて途方に暮れ、母に助けを求めた。

母の一言でひっくり返った物事の見え方。敗北感すら癒してくれた

母は、あんたが納得できるところに出願しなさい、最後はあんたにしか決められへん、と言いながらも、時間の限り一緒に悩んでくれた。様々な選択肢を浮かべては消し、最後に残ったのは二つの道だった。
最終決定を下さねばならない日の夜になっても、私はまだ、自分への敗北という観念に縛られていた。勉強も手につかないまま悩み続ける私に、母は言った。

「ここで諦めることなく第一志望校にチャレンジするっていうのは、もちろん立派なことだと思うけど。でも試験の結果を受けいれて、自分の力を冷静に見極めて、しっかり考えた上で一歩引くっていうなら、それはそれで立派な選択なんじゃない?潔く一歩引くって、なかなかできるもんじゃないよ。何かを追い続けることよりも、難しいことかもしれない」

物事の見え方が、鮮やかにひっくり返った瞬間だった。
ごちゃごちゃと言い争っていた頭は静まり、私は泣きながらも決意を固め、現在通う大学を受験した。
「潔く一歩引くのも立派な選択」。その一言が、かすかに残る敗北感を、優しく癒してくれた。

結果として、第一志望を諦め今の大学を選んだことを、後悔したことは一度もない。むしろ今となっては、それがあの時の私にできた最良の選択であったと思っている。
そして母のあの一言がなかったら、私にその選択は到底できなかっただろう。
言葉は本当に偉大である。そして、母もまた、本当に偉大なのである。