これは、私が高校受験をした時の話。
中学校に進学して少し経った頃、徐々に成績が落ちてきた。
それまではテストも平均点以上。自分で決めた目標点もクリアできており、勉強ができない自覚はなかった。
テストの点数が落ち始めたころは勉強をさぼり始めたとき。点数が落ちた理由がわかっていながらも勉強法を変えるわけもなく、怠惰な日々を送っていた。

受験が迫っても志望校を決められずにいたとき、母が声をかけてくれた

それを見かねた両親は私を学習塾に入れた。
塾長が私に聞いた。
「志望校はどこ?」
私は学区内で一番偏差値の高い高校を志望校だと言った。

塾長は、今の状態では無理だと言った。自分でもわかっていた。
その日から定期テストの目標点を決め、学力を上げ、合格できる力をつけるべく勉強をはじめた。俗にいう“ガリ勉”まではいかないが、友達よりは勉強した。
その甲斐あってか学力は少しずつ伸びていき、定期テストでは目標点を超えることができ、校内偏差値が志望校を狙えるくらいになった。

季節は過ぎていき、受験本番が迫ってきたある日、受験する高校への出願をする時期となった。気持ちは変わらず、志望校は変えずに出願したが、学力が十分ではないための不安が押し寄せた。家に帰り、親に相談するも、自分の気持ちすらどっちつかず。そんな私を見かねた母が私に言った。

「このまま受験してみない?」母が言った予想外の言葉に隠された想い

「このまま志望校を落とさずに受験してみない?」
“母”がそう言ったことに驚いた。数秒間固まった。意図がつかめなかったから。
きょとんとした顔をした私に母が続けた。

「これまで遅くまで塾に通ってきたし、学校の先生からは合格できる可能性があるって言ってもらえてる。自分のこと信じて、もう少しだけ頑張ってみない?」
語りかけるように、時間にして10分ほどだったけれど、ゆっくりと包み込むように話す母。

ここまで私のことを応援してくれていたなんて正直驚いた。苦しさとうれしさが混ざって涙がうっすらと出てきたけれど、弱音は今じゃない、と自分に言い聞かせた。
思春期の私にとって、父ではなく母が言ってくれたことも大きかった。
翌日、学校へ行き担任に、志望校は変えない旨を伝えた。
自分の中でも改めて受験に向かう決意ができた。母との約束を果たすという使命感もあったように思う。

母の言葉は、確実に私の未来を変え、後悔させない道を選ばせてくれた

受験日当日、やり切ってやる、自分ならできる、と言い聞かせ本番に臨んだ。
最終科目の試験時間が終了し、「やめ」の号令がかけられたとき、心の中でガッツポーズをした。やりきった思いでいっぱいだった。

後悔はない。これで受からなかったとしても自分にできることはできたと思えた。
結果は見事合格。自分の受験番号を見つけたときは、それまでの人生の中で一番うれしかった。一緒に来てくれた母も、おめでとう、と微笑んでくれた。

あの夜、あの母の言葉がなければ、今の私は存在していないのかもしれない。別の高校に行き、あのときもう少し頑張れていたら、と後悔していたかもしれない。
運命だと言われればそうなのだろう。でも、確実に私の未来を変える出来事だったと確信している。