子どもの頃、バレンタインが大好きだった。
チョコレートが好きだったし、友達と一緒に手作りをしたり、交換しあうのが楽しかった。
好きな人がいるときには、とびきり気合を入れて作ったチョコレートを綺麗にラッピングして渡した。学校中が浮ついたような一日が、大好きだった。
けれど、社会人になってからはバレンタインが苦手になってしまった。
女性から全男性社員に贈るバレンタインが、嫌だと思った理由
数年前に中途で入社した今の会社は、部署内での社員同士の交流は少ないものの、会社全体でのイベントごとが多い社風だ。
入社後初めて迎えた2月に、バレンタインは女性社員が部署の男性社員全員にチョコレートを贈る、というのを知った。
正直、かなり嫌だった。理由はわからなかったけれど、何かを押し付けられているような気がした。
結局理由はわからないまま、そういう慣例なら仕方ないか……と先輩と一緒にデパ地下でチョコレートを買って、当日男性社員に渡した。
やっぱりなんだか嫌だな、と思いながらその一日を終えて、家に帰ってようやくわかった。
私は、"女"の役割を押し付けられたような気がして嫌だったのだ。
自分のことは、女だと思っている。
社会的にも、生物学的にも女だと認識している。履歴書やアンケートの性別は女に丸をつけるし、トイレや銭湯は女性側を使う。
だけど、私は“女らしさ”のようなものが苦手だった。
バレンタインで女性側に強制的に立たされた感じが苦痛だった
年々気にしなくなってきているけれど、それこそ転職したての数年前はフェミニンな服を着ることさえ嫌だった。
フリルのついたブラウスや、ひらひらしたスカート、華奢なデザインのバレエシューズ……それよりは黒のパーカーや、ジーンズ、ごつめのスニーカーなど、もっとボーイッシュなものが好きだった。
私は女だけれど、"女性らしい"と言われるものは私らしくないと思っていた。
なのに、バレンタインで女性側に強制的に立たされたように感じてしまって、それが苦痛だったのだ。
お世話になっている人たちへの日頃の感謝として、自らチョコレートを渡そうとしていたのならこんなに嫌じゃなかった。
"女性だから"チョコレートを渡す役目を負ったというのが嫌だった。
まして、私はチョコレートが大好きで、その好きなチョコレートを建前でとりあえず渡すというのも苦痛だった。"女性らしさ"を演じさせられているような感覚があった。
社会人としてこんなことは当たり前にこなすべきなのかもしれない。女性らしさや男性らしさをうまく演じることで、仕事をうまく回している人も少なくないと思う。
けれど、どうしても私にはそれが辛かった。
"私として"好きな人やお世話になった人に、チョコレートを贈りたい
ここのところはコロナ禍の影響で、感染対策としてバレンタインデーとホワイトデーは社内で禁止となった。
コロナで苦しむ人たちが多い中で不謹慎なことかもしれないけれど、正直心底ホッとした。
このままだったら、この先のバレンタインはもう有給休暇を取ろうか……とさえ思っていた。
歳を重ねるにつれて、「嫌だな」と思うことも「仕事だから仕方ない」と割り切ってやれるようになってきた。
結局、やってしまった方が面倒くさくないからだ。それに、大人になるにつれて自分の感受性が良い意味で鈍くなって、小さな事では傷つかなくなってきた。
でも、嫌だと思う自分の気持ちにまで鈍くなりたくはない。
仕方なく嫌々こなしたとしても、私らしくありたいという自分の気持ちは、幾つになっても大切にしていきたい。
今年は気になっている人がいることもあって、ワクワクしながら美味しいチョコレート店の情報を集めている。
そういえば、私ってバレンタイン好きだったんだよな、と久しぶりに思い出した。
"女性として"ではなく"私として"好きな人やお世話になった人たちにチョコレートを贈りたい。