2014年、私はオーストラリアに留学していた。

オーストラリアは物価が高い。
家から学校までの交通費だけでも週に5000円はかかっていたし、ちょっとした外食をするのにも日本の倍くらいのお金が必要だった。
あっと言う間に持ってきたお小遣いが底を尽きてしまい、私は焦った。
ヤバい。なんとかしないと、そのうち通学費すら払えなくなるぞ……。

アルバイトは禁止、お金を工面する方法を考えて路上ライブを決意

残念ながら、所属していた大学の規則でアルバイトは禁止だった。
お金を工面する方法を考えに考え、悩みに悩み、私はある決意をした。

次の週末、私は趣味だったバイオリンを手に駅前に立っていた。
お金を工面する――路上ライブをすることに決めたのだ。

私が住んでいた地域では、町中でライブなどのパフォーマンスをして収入を得るには、商業団体からの許可が必要だった。
オーディションで合格することや、年会費の支払いが必要だと噂で聞いた。
ただし、それは町の指定された商業地域の中だけのこと。
その外であれば、路上ライブをしようがその際に収入が発生しようが、問題ないとのことだった。

私は町の中心から少し離れた、しかし人通りのそこそこ多い駅の前で、初めてのライブをすることに決めた。

路上ライブをしている人を、以前に何度も見たことがある。
ギターの弾き語りが多く、足元に広げたギターケースには決まってコインがいくらか入っていた。

さて、私も……。
しかし、駅に着いた私は、バイオリンケースに手をかけたりひっこめたりを繰り返していた。
簡単には弾く気になれなかったのだ。
自分が路上ライブをするイメージを持ってここまで来たものの、いざたった一人で弾くとなると、急に物怖じしてしまう。

出直そうか、とも考えたが、自分の寂しい財布の中身を思い、ついにえいっとバイオリンケースを開けた。
誰かに笑われるかもしれない。全然稼げないかもしれない。でも、やってみるしかない!

汗だくで働く950円と、音楽を奏でた6000円。お金って一体何だ

1時間後、私はバイオリンケースに投げ入れられたコインを数えていた。

稼げないかもしれないと覚悟していたが、よかった。お金を入れてくれる人がいた!
幸運にもそれは1人や2人ではなかった。目の前を通り過ぎる人々の多くが、コインを投げ入れてくれたのだ。
最初は気恥ずかしさで小さな音で弾いていたが、私の音楽を聞いて笑顔になってくれる人がいるのに気付いた。
時々コインを入れながら「スゴくいいよ!」と声をかけてくれる人もいるもんで、私はすっかり楽しくなって1時間弾ききったのだった。

稼いだコインを数え終わって驚いた。
総額は日本円にして6,000円ほど。
直前に日本でしていたアルバイトの時給は950円で、しかも誰からも「スゴくいいよ!」なんて言われなかったし、すっかり楽しくなることもなかった。
それまでの私の1時間の値打ちは、せいぜい950円だった。
そんな私が1時間で6,000円もの収入を得たことが、あまりにも予想外のことで呆然とした。
汗だくになって働く1時間は、950円。
楽しんで音楽を奏でた1時間は、6,000円。

お金って、一体どうなっているんだ?
帰り道にそんなことを考えていた。

仕事に慣れなくとも、感謝の気持ちでお金が動くことがあると知った

家に帰ってホストマザーに、ライブが楽しかったこと、通り過ぎる人も楽しそうにしていたこと、お金を稼いだことを話した。
そして稼いだ金額が私の予想を上回ったので、戸惑っていることも。

ホストマザーは言った。
「みんな、マナの音楽に感謝したから、お金を入れたの。ただそれだけのことよ」

それは私も薄々感じていたことだった。
駅前で起きていたこと。私が少しの「音楽」を提供し、道行く人は「ありがとう」を返した。
ひとりの「ありがとう」はたった1枚のコインでも、それがたくさん集まって6,000円になり、それが私の生活費の足しになったのだ。
ホストマザーの言葉に、なんとなく今日の出来事が腑に落ちた感じがした。

それまでは、お金は働いた分だけもらえるのだと、当然のように思っていた。
社会人になったら、1年目より2年目、2年目より3年目のほうが多くのお金がもらえる。
それは前年よりもよく働けるようになるからだと思っていた。

でも、お金の動き方というのはそれだけではないらしい。
会社や商売を通さなくとも、仕事に慣れなくとも、感謝の気持ちでお金が動くことがあるのだと知った。

それから私は、ライフイベントで貯金が減っても、コロナ禍で仕事を失っても、お金のことをあまり心配せずにいられる。
働くだけがお金の稼ぎ方ではないことを知ったからだ。