他人に期待してイライラするなら、避けた方がいいと思っていた

わたしは今まで、あまり他人に頼らずに生きてきたと思う。
中間子だからというのもあるのだろうか、ある程度のことは要領よくこなしていたと思うし、人の顔色を窺って波風立たないようにしていた部分もあった。
もちろん一人で生きてきたと言うつもりはない。家族や友人、職場の人たちの支えがあってこそ今のわたしがあると思っている。
でもそれは、頼ってきたとはちょっと違う気がする。

もともと自分を含め、人がイライラしていたり、機嫌が悪い様子を見るのは嫌いだし、苦手だ。別に家庭環境に問題があったとか、過去に何かあったと言うわけではないが、できればみんな穏やかに、ニコニコしていてほしいと思っている。
だからわたしは他人に頼らないようにしてきた。何かの本で読んだのか、誰かの言葉だったのか、人は期待を裏切られることでショックを受けたりイライラしてしまうそうだ。
また、大人になると考え方や価値観などを変えることは難しくなるので、人付き合いにおいて他人を変えようとするより、自分の考え方を変える方が簡単だというような言葉もあった。
他人に期待し、頼ることでイライラしてしまう原因があるとすれば、自分がそれを回避することで楽な気持ちでいられるならそのほうがいいと思っていた。

コロナ病棟を担当。世の中にはもっと辛い人がいると自分に言い聞かせたけど

だがそんなわたしでも、他人を頼って救われたと思う出来事があった。
日本でもコロナが流行し始めた春に、わたしが看護師として働く病院でもコロナ患者の受け入れを開始した。当時呼吸器内科で勤務していたわたしは強制的にコロナ病棟担当となった。

ウイルスのこともよくわからない、マスクやガウンなどの防護具も足りない、いつ自分が感染するかもわからないなか、不安で押し潰されそうな日々を送っていた。ニュースではコロナによって混乱する社会を毎日報道していた。

コロナに感染して苦しむ人、コロナで大切な家族を亡くした人、休業要請などで仕事ができなくなってしまった人、収入が減って暮らしが困窮している人。わたしよりも辛い思いをしている人が世の中にはたくさんいた。
そんな人たちのことを考えると、仕事があって、コロナの手当も出ているわたしはぜんぜん辛くなんかないと自分に言い聞かせていた。

同じ病院のスタッフからも気遣いの言葉をかけてもらったが、一般病棟の1つをコロナ病棟にしているため、他の病棟の入院患者が増えて迷惑をかけていることはわかっていたし、わたしたちをバイ菌のように考えていたスタッフもいたので弱みは見せられなかった。

そんな日々を続けていると体に不調が現れ始めた。
ささいなことでイライラするようになり、なにも食べてないのに顎が疲れているなと思ったら、常に奥歯を噛み締めていることに気づいた。

どうしたらいいかわからず、思いを聞いて欲しいと同期を頼った

わたしは辛くないはずなのに、辛い思いをしている人はわたしの他にたくさんいるのだから、わたしは辛いなんて思わないはずなのにどうして?そんなふうに思った。

このとき、わたしは同じコロナ病棟で働く同期を頼った。
アドバイスが欲しかったわけではないけれど、とにかくわたしの思いを聞いてほしかった。自分ではもうどうしたらいいのかわからなかった。

すると同期はわたしの辛い気持ちを受け入れてくれて、同じような不安を持っていることを話してくれた。わたしはそれを聞いて、自分だけじゃなかったんだととても安心した。
そのあとはコロナのことも仕事のことも、プライベートのことも愚痴を言い合った。思っていたことを口にできて、心が軽くなったことを今でも覚えている。

誰かに自分の辛い気持ちを話すのは勇気がいることだと思う。でもそのままにしていては自分がどんどん苦しくなっていく。わたしは今回の件で身をもってこのことを知った。
他人を頼るのは難しいことだけれど、どうか自分が潰れてしまう前に勇気を出してほしい。