6年前、大学に行けず引きこもっていた私の手を掴んで、明るい場所に引っ張り上げてくれたのは、意外な人物だった。
どうせ助けてくれっこない。限りなく望みの薄い相手に駄目元ですがるような真似をしたのは、それだけ追い詰められていたからだ。留年を目前にしてもなお、私にはどうしても講義に出られない理由があった。
人の視線に過敏で、発言や注目を浴びることに緊張と恐怖を覚える
社会不安障害。シャイや自意識過剰といった言葉で片付けられがちで、その苦しみは家族にすらなかなか理解してもらえない。
私の場合は昔から人の視線に過敏で、注目を浴びたり発言したりすることに極度の緊張と恐怖を覚えるたちだった。それまではクリニックの処方薬にも頼って自分を誤魔化しながら暮らしていたけれど、在学中に症状は悪化した。
講義で当てられるのが怖い。ゼミで発表したくない。そんな、他人にとっては取るに足りない理由で当時の私は死すら身近に感じるようになっていた。
周りの学生みたいにもっと気楽に構えればいいと頭ではわかっていても、講義の前日は不安で眠れなかったし、どれだけ念入りに準備しても関係なかった。いざ指名され席を立たされると、暗記したはずのスピーチも綺麗さっぱり飛んでしまうのだから。
周りの視線が痛い。恥ずかしい。今すぐ消えてしまいたい。緊張と恐怖で顔は真っ赤に、頭は真っ白になる。喉はカラカラに渇いて、こめかみを脂汗が伝い、口から心臓が飛び出しそうになるのを吐き気と一緒にこらえる。
学生名簿からランダムに当てられる場面では対策のしようがなくて、いつ指されるかわからない緊張感の中で受ける講義は、学習意欲もろとも私の神経をごりごりとすり減らした。徐々にいくつかの講義から足が遠のき、そのうちキャンパスのある渋谷駅にも近寄れなくなって、気づけば近所のスーパーにしか行けなくなっていた。
授業で指される恐怖なんて、普通の人には理解されないに決まってる
連絡が途絶えたことを心配して訪ねてきた母は、暗い部屋で膝を抱える私を見て絶句した。
頼むから卒業だけはしてくれとせっつかれたが、このままでは必修科目の単位が足りないことは明らかで。母の勧めで教授に直談判に行った際も、真面目に取り合ってもらえるなんて期待はしていなかった。
だって授業で指される不安や恐怖なんて、普通の人には理解されないに決まってる。「何だそれくらい」と鼻で笑われ、「社会に出たらもっと辛いことが山ほどある」と人生の先輩面をされて終わりだ。今までもそうだったように。
目が不自由な学生は点字で授業をしてもらえても、心が不自由な学生には何もない。ひたすら耐えるか、逃げるかの二択しか。きっとこのまま留年して、欠席続きの講義はいつまでも出られないまま、中退するのかもしれない。だって学校とはそういうものだから。
私は恐る恐る教授室を訪れ、講義に出席できていない現状とその理由を説明した。半ばやけっぱちな私だからこそできた、最後の悪あがき。いざ教授を前にすると案の定話したいことは緊張ですっ飛び、準備しておいた箇条書きのメモに頼った。
留年を免れ卒業するために、こんな私でもどうにか単位を認めてもらう方法はないか。弁明は面白いくらいにたどたどしく、途中からは羞恥と情けなさとで涙があふれてきて自己嫌悪に陥ったけれど、もうそうするしかなかった。
お願いです、助けてください。助けてください。助けて。
「話してくれてありがとう」。予想外の教授の対応に、涙も引っ込んだ
「なら、君のことは講義で指さないようにしましょう。発表の代わりに毎週レポートを提出してもらうというのはどうですか?」
そう返された時には、正直こちらがびっくりして涙も引っ込んだ。駄目なものは駄目だと、そういう決まりだからと、すげなく追い返されるとばかり思っていたのに。
私が感謝を述べるより先に、教授はこうも言った。
「君と同じように苦しんでいる学生が他にもいるかもしれないと、わかってよかった。まだ体制が整っていないから全員に十分な措置をとれないのが歯痒いけど、こうして助けを求めてくれれば何かしら力になってあげられる。話しに来てくれてありがとう」
予想通り、呆れ顔であしらわれたこともあった。「そんなことで恥ずかしがっていたら社会に出てどうするの」と。それでも、少しでも私が授業に出やすいようにと代替措置をとってくれる教授がほとんどだったことに、私は一生ぶんくらい救われたのだ。
おかげで、休みがちだった必修科目の単位も取得できた。
いつかネットの掲示板で、私と同じ不安障害に悩む人の書き込みを見かけた。その女性は大学の授業に出席できないまま、ずるずると留年を繰り返していた。彼女は無事に卒業できたのだろうかと、今でもふと考える。
今回このエッセイを書いたのは、そういう人たちに届いてほしいから。「普通ならダメだから」「どうせ言っても無駄だから」と諦めてしまう前に、私のようになりふり構わずSOSを出す勇気を持ってほしいから。
諦めずにみっともなく足掻いてみたら、世界は案外やさしかった
この障害を理由に諦めなければならなかったものを数えたら、両手では足りない。
実際に、大学こそ死にもの狂いで卒業したものの、就活は断念するしかなかった。面接で何一つまともに答えられない私を拾ってくれる会社なんてあるわけない、と。
今だって、正社員として働く友人たちがカッコよく見えて、羨ましくて仕方ない。ノルマも残業も嫌味な上司も、私がどれほど望んでも手に入らないものだから。
でも、もし。もし諦めずにいたら、何かが変わっただろうか。あの日教授にそうしたように、みっともなく誰かに助けを求めていたら。
もちろん、世の中にはどうしようもないことがあるし、必死に食い下がっても結果は何一つ変わらなかったかもしれない。それでも、もうどうにもならないと諦めかけていた私に「まだどうにかなるよ」と手を差し伸べてくれた人がいた。
これまで潔く手放してきた色々なことにも、もっと諦めが悪くてよかったのかもしれない。今度どうしても叶えたい夢や目標ができた時には、もう少しだけ往生際悪く足掻いてみようか。
6年前の出来事は、そんな風に私をちょっぴり強気にさせてくれる。