まぶしかったハイミス達の姿。でも、私はハイミスにはならない

大学時代からよく読んでいる田辺聖子さんの小説。その中で特に好きだったのは『ハイミス』ものです。ハイミスとは、結婚適齢期と言われる年齢を過ぎても独身でいる女性のことです。

1960年代から80年代にかけて、今よりも結婚適齢期と言われる年齢が若い時代でした。30歳を過ぎて独身でいることは「オールドミス」や「嫁がず後家」といった揶揄と軽蔑の視線が当たり前の時代でした。
そんなハイミス達が仕事に恋愛に一生懸命、自分らしく、強く、自分の落とし前をきちんとつけて、タフで、生き生きと人生を楽しんでいる姿は時代を超えてまぶしく、物語に夢中になっていました。

しかし、その一方で二十歳を迎えたばかりの私にとって、自分とは少し遠い存在のような、目標にはしてはいけないように感じていました。
自分はハイミスを経験する人生ではなく、結婚適齢期前には結婚し、30代を迎える頃には子供も2人くらいいるのかな、と彼女たちを見下し、皮肉った気持を持っていました。

30歳までに結婚しないと!と執着し、道をそれないよう生きてきた

今思い返すと、その後の私は現代の『ハイミス』にならないように逆算しながら歩んでいたような人生でした。

女性として生まれたからには、結婚して子供を産むことが当たり前であり使命。30歳を過ぎても仕事だけして独りでいることは可哀そう。
私が生きてきた約30年間の色んな場面で色んなひとが、直接や、メディアなどの様々な媒体を通じて私に植え付けてきたことです。そして私もその意見が全く正しいと思っていました。

だから私は、周りからおかしいと思われないように、道からそれないようにと、わきまえて生きていました。
すごく興味がある仕事ではないけど、産休・育休が取れる職場でOLをし、20代半ばには、結婚前に一人暮らしも経験しておきたいと実家を出て、2、3年一人で暮らし、家事も身に付けて結婚するのかな、と。

どの方ともうまくいかなかったけれども、20代の頃にお付き合いする男性には全員結婚を結び付けて考えていました。それは、「この人と結婚したい!」ではなく、「結婚がしたい!結婚できない女と思われたくない!30歳までに結婚しないとハイミスになっちゃう!」という気持ちでした。自分で勝手に「わきまえる女」「ハイミス」に執着していました。
まだまだ長い自分の人生なのに、やってみたいな、と思ったことも意味のない逆算と、この年齢で女だと転職も厳しい、と自分で決めつけて諦めていました。

あの頃読んだ女性達のように、自分らしくたくましく生きる

しかし、人生の逆算では出産を2度すましているはずの32歳になった私ですが、今大きな人生の一歩を踏み出しました。
来年の春から脚本家の専門学校に通います。
きっかけは何だったか思い出せません。逆算のゴール年齢に達したからなのか、ハイミスの生みの親である田辺聖子さんが亡くなったとニュースで見たからなのか、31歳にして大失恋をしたからなのか、はたまた図書館で林真理子さん著書の「野心のすすめ」を読んだからなのか。

今、女性としてわきまえる逆算のジレンマから解放されて感じることは、私にとって「ハイミス」を経験することが使命であり試練です。
そして、「わきまえない女性」として、あの頃物語の中で出会った女性達のように、自分らしくたくましく生き、可能性を広げるチャンスを自分でつかみ取ったのだと、腹をくくりました。