刀を持ちたかった七五三、化粧品のポーチを忘れた卒業旅行

幼い頃の記憶。七五三の確か三の頃。私はフォトスタジオで暴れちぎっていた。
青か黄色か、とにかくたっぷりとしたドレスを着せられた私の言い分はこうだ。
「男の子のように刀が持ちたい」

中学に上がり、周囲の女子がスカートの丈を短くし始めた。靴下も短い方が良いらしい。ヘアピンは必需品のようだ。
私は不思議な気持ちで彼女たちを眺めていた。
短いスカートは寒いし、自分の大根のような足が大衆の目に晒されてしまう。短い靴下を履いていれば教師に咎められる。髪は後ろで括っておけば問題ない。前髪?そんなものは邪魔じゃなかろうか。

ある日、私は新しい靴が欲しくなった。
向かった靴屋で選んだのは男子向けのデザイン。親と少し喧嘩をした。結局買ってもらったが、あまり履かないまま物置行きになった。

さて、高校はもう少し自由な校風だった。多少のことは許される。それでも短いスカートやオシャレなローファー、可愛らしいカーディガン、下ろされた長い髪を見て、私はまたしても首を傾げた。
どうして彼女たちはこうも外見に注意を払うのか。
しかし同時に恐れもした。彼女たちと同じような感性を持っていると証明しなければいけないのでは。簡単に言えば、浮くのを恐れたのだ。

もちろん、外見が簡素だからと野暮なことを言う友人は周りにいなかったが、それでもなんとなく流れというのはある。
親に頼んで買ってもらったキャメル色のカーディガンは、丈が長すぎて制服からはみ出していた。ローファーは中途半端な欲しいという気持ちでねだってはいけないだろう(金銭的な意味で)と、見送った。

おしゃれに興味を持てない自分は、女子として正常なのだろうか

高校生。ゾンビの仮装をする、というイベントがあった。
友人らは家から沢山の化粧品を持ってきた。私は何が何だか分からず、されるがままになった。ファンデーションもアイシャドウも、未知の画材に見えた。
卒業旅行のときも、友人らはポーチにコスメを詰めて朝から楽しげに、真剣に楽しそうに化粧を施していた。私といえば、下地とカラーリップくらいしか入っていないポーチを家に忘れていた。

私はなぜか悲しくなった。もちろん彼女たちは何も悪くない。そう、私が興味を持てないだけだ。
このままではいけないと、友人に化粧を教えてくれと頼んだ。そこで初めてファンデーションの存在を知った。

無知な自分、興味を持てない自分、果たして正常なのだろうか。女子として。

モラトリアムの大学生。自由の許された4年間を、長かった髪を切って迎えた。そして、ようやっとスカートのようなものを履いたりし始めた。化粧も少し。
暫くはそれでも、途中からなんだか服を選ぶのが面倒になり、結局シャツとズボン。パーカーとズボン。遅刻しそうな日もそうでない日も化粧はしたりしなかったり。髪は段々と伸びていき、結局後ろで括っている、というデフォルメに戻った。

しかしそれでも特に支障はなかった。友人関係、勉学、サークルといった日常生活から私の精神衛生に至るまで。
もちろん周囲には毎日かわいい服、かっこいい服を着た人々はいるのだが、パンツスーツを来た人や、ジャージ姿で2Lペットボトルを抱えた人、独特のセンスでもってカラフルな服を身に纏う人もいたからだ。なんだか誰もかれも好き勝手しているなというのが、正直な感想だった。

そうこうしていると、コロナがやって来た。滅多に学校へ行かなくなって、「外見をよく見せる」必要性を失ったと感じた。下宿先に1人でいる私のスタイルは、想像にお任せしたいけれど、まぁ……そんなもんだった。

大学を離れることになり、ふと黄色いスカートをはいてみようと思った

外に出られない日々が続く中、私にとっては節目の日ができた。自分のしたいことをするために少しの間だけ大学を離れることにしたのだ。
明日が友人たちと同じ授業を受け、同じ課題を受け取って、同じ進度で歩む最後の日だった。

なんだか不思議な気持ちだった。コロナもあり近くて遠くなった友人たちと、少し違った方向を見て進む時間を得られたのだ。

そのとき、ふっと思った。ほとんど履いたことのない黄色いスカートを履いてみよう、眼鏡を外してコンタクトを入れ、長い髪をおろしてみよう。化粧もして、親から貰ったイヤリングも付けよう。リュックをやめてバッグに荷物を詰めよう。

私はワクワクしながら用意をした。自分の足の太さや毛深さはどうでもよかった。化粧の上手い下手もよく分からないけれど、自分の思う正解の化粧を施した。久々に出したバッグは少しひしゃげていたが、中身を詰めれば様になった。

私は、その時初めて自分のためにおしゃれをしたと実感した。突然訪れた心境の変化はとても楽しくて、謎の自信をくれた。私はまるで違う自分に会ったような気分で鏡を見つめていた。

服装について声をかけてくれる友人、そうでない友人、一目見て私だと分からない友人もいた。全ての反応が新鮮で面白くて、それまでのちょっとしたおしゃれへの反応とは違っていた。
私は笑顔だった。言いようのない満足感と、充実感があった。

「自分のために外見を変えよう」。そう思ったあの日から

お前はただ、友人を驚かせて楽しんでいるんじゃないか、心のどこかでそう囁く私ももちろんいる。結局他人の目を考慮しつつおしゃれしているんじゃないかと呟く私もいる。外見を変えて中身まで変わった気でいるんじゃないかと意地悪な声も聞こえる。
しかし、あの時確かに私の中で何かが変わった。

自分のために外見を変えよう。

それが純粋な楽しさだけでなく、自分をよく見せようとする打算的なものだとしても、今の自分を外面だけでも変えたいと願ったからだとしても、自分に自信を持ちたいという欲望からだとしても、「自分のため」であることに変わりはない。
それは、他者の意図が介在していたそれまでの「おしゃれ」とは似ているけれど違う気がした。

それからというもの、私は自分の思うおしゃれを楽しんでいる。