私が誰かを切実に頼った時といえば、あの地獄の就活だと思う。
私はその就活が終わった後に精神的な病気になった。それほどまでに地獄の経験だった。心の中は嵐の大海原で漂流しているようなものだった。
その時に頼った人達がいなかったら、私はもっと壊れていたかもしれない。

私は就活の時にたくさんの人に頼った。大学のカウンセラーⅯさん、大学の相談室のみなさん、大学の就職支援課のHさん、Sさん、キャリアカウンセラーのS先生、他にもたくさんいる。その人達に私は就活についての質問をしたり、不安を話したり、握手をしてもらったり、女性の方にはハグをしてもらったりした。
その中でも特に印象深いのは大学のカウンセラーのMさんだ。

就活で特に印象深いのは、手塚治虫に顔が似ているおじさん

Mさんにカウンセリングをしてもらうようになったのは、大学2年生の初夏ぐらいからだ。大学の授業についていけず、友達ともうまくいっていなかったので、ある日大学を歩いていたら、突然不安がやってきて、思わずカウンセリングを受けられる相談室に駆け込んだのだ。
就活の前からMさんにはお世話になっていたのだが、就活が始まってから依存度が高くなった。2週間に1回のカウンセリングが1週間に1回になった。

Mさんは手塚治虫に顔が似ているおじさんだった。
Mさんにカウンセリングをしてもらう前に少しだけ女性のカウンセラーにかかったことがあるが、その人は基本的にアドバイスをしないで話を聞いてくれるスタイルなのに対して、Mさんは具体的にアドバイスをしてくれる人だった。
例えば私が不安が強いと言えば、呼吸を意識するように、あとは夢中になれることを見つけて不安から離れるように、などとアドバイスしてくれた。
私は同じことを何度も相談したが、その度に具体的なアドバイスがくると安心した。Mさんのカウンセリングはその時に飲んでいた精神安定剤よりも効果があった。

おじさんを持ち歩きたいほど頼り切っていたが、それは不安だったから

頼るというよりも迷惑をかけるに近いが、私は不安になると、カウンセリングがない時でもMさんに会いにいった。
Mさんの顔を見ると、私は安心した。そして、「Mさん握手してください」と言うのだ。
Mさんはしょうがないという感じで握手をしてくれる。たまに「こんなおじさんに握手してもらうんじゃなくて、もっと若いかっこいい男子にしてもらいなさい」とか言ったりもした。
そして、本当に忙しくて相手をできない時は「閉店ガラガラー」と言う。

私はMさんがミニチュアの人形になっていつでも持ち歩けたらいいのにと思った。そのことをMさんに伝えたこともある。
誤解してもらわないでほしいのだが、Mさんに抱いていた感情は恋心では決してない。人間の神様みたいなものだ。
こんなに頼りきっていたのは私がそれほど不安だったからだろう。不安が大きくなければ、Mさんの存在は私の中では大きくならなかったに違いない。

進路を変更して精神的に不安定になったが、就活は無事に終了。そして…

私の大学の学部では公務員試験を受ける人が大多数だった。私も始めは公務員志望だった。
しかし、私は大学の勉強と公務員の勉強の両立ができず、大学3年の12月に民間を受けることに決めた。
親兄弟はあまり賛成してくれなかった。それから大学の就活セミナーにたくさん参加した。
集団模擬面接の際にペアを組んで、お互い採点しあうことをしたが、私は就活が怖くなりすぎて字が書けなくなった。その時は脳の病気にでもなったのかもしれないと不安になった。字が書けなくなったのはただの一時的なものに過ぎなかった。そんな訳で、不安になるような状況だった。
こう書いてみると、同じ状況でも不安にならない人もいる気がしてきた。私が不安になったのは環境的なものもあるが、絶対に失敗できないと私が心のどこかで思っていたことが大きいだろう。
私はMさんに「就活が終わったらMさんのところに駆け込むことはぴたりと止まると思います」と言っていた。Mさんは「薄情なやつだな」と笑いながら言った。

そこそこ希望通りの協会から10月の初めに内定をもらった。
そのことをMさんに報告して、不安がふっとなくなった私は予告通りカウンセリングに駆け込まなくなった。
私は前述した通り、その後精神的な病気になり、親が内定辞退をして私の努力は散ってしまった。けれどあの時不安と戦いながら、がんばっていた私を応援してくれたMさんに今でも感謝している。