「わきまえない女」とは、礼儀知らずの女。厚かましい女。大人の女性が耳にすると、心がざわつく言葉。
昔読んだ白雪姫。「鏡よ鏡。世界で一番美しいのは誰?」の問いかけに何の疑問も持たなかった私。自分が一番美しいと望むことは素直な願望であり喜び。人と比較して優位な立場であるならば優越感。それはごく普通な感情と思えた幼少期。
けれど……自分が母親になり、子供に読み聞かせをした際にふと抱いた違和感。
「鏡よ鏡。世界で一番美しいのは誰?」
自分が世界で一番美しいかどうかを問う場面に罪悪感、恥じらいを感じた。その理由は、白雪姫は外国人が書いたグリム童話だったからだ。
奥ゆかしく控えめが「美」とされてきた日本の女性達
それはどういうことかというと、母となった今では、自分が一番美しいかどうかを問うこと自体が世間的におこがましく、「わきまえない女」として扱われる恐れがあると思ったからだ。
日本の女性は奥ゆかしくて控えめが「美」とされてきた。一部の外国の女性のように、大人になっても天真爛漫、自由、心の解放、自分の欲への追及は、羨ましくてもご法度。そう感じる自分に少し嫌気がさした。
だからこそ、絵本や物語に憧れる。幼い頃は自分が一番!の想いが表現できた。純粋無垢で素直な幼少期。その頃は周りの目など気にしない。だから周囲も呆れた顔をしつつも、仕方ないと許してくれていたのだろう。
幼さや若さは、男性をも黙らせる無敵の強さがあると思う。若さは女性にとって特権だから。
しかし逆に年齢を重ねると、不思議とその魔法は解けてゆき、奥ゆかしさ、謙虚さを求められ染められてゆく日本の女性達。
日本社会は歳を重ねた女性に対して冷たいのではないか
だからもし、魔法の鏡を目にしても、「鏡よ鏡。世界で一番美しいのは誰?」などと問わない。そう問えば、世間は一瞬にしてざわつきどよめく。いい歳して、「わきまえない女」、礼儀知らずで、厚かましい女とされる。
だから日本の女性は賢く謙虚。自分の年齢、容姿、身なりに敏感で、それ相応の対応へ徐々にシフトチェンジさせてゆく。魔法の鏡を目の前にしても、「鏡よ鏡。私らしい美しさって何?」「鏡よ鏡。自分らしい輝きって何?」。
他人と比較しない、等身大の自分に問いかける。「鏡よ鏡。私の幸せって何?」「鏡よ鏡。自分らしい生き方って何?」。自分の中での幸せ、自分の範囲内でのやりたい事を見据えて問いかける。
しかし残念なことに、この控えめな発言さえも世間は許してくれない時がある。いい歳した女のくせに「わきまえない」と罵る。世間は歳を重ねた女性に対して冷たいと感じる。いい歳の女は諦めが肝心、いい歳の女は夢を抱いてはいけない、いい歳の女は男にたてつかない。
女性には自信をもって歩んでほしいから。ゆっくり変えていこう
いつからだろう?女性はしおらしく、強くなってはいけないと言われたのは。いつからだろう?女性は家庭が大事で、自由に夢を抱いてはいけないと言われたのは。いつからだろう?女性は愛想だけを振りまき、男性のようにトップに立つ必要がないと言われたのは。
世間が追い求める女性像。男性が描く理想の女性。そこに染められ、そこからはみ出すと、「わきまえない女」と煙たがられる。年齢を重ねれば重ねるほど、その壁はあつくなり窮屈になるように思う。
確かに女性には、男性と違う「女性らしさ」がある。しおらしさやしなやかさ、美しさがあるだろう。だからって才能や夢、なりたい自分を押し殺し、自由が利かないのは話が違う。人生は男女関係なく、みな平等で選ぶ権利がある。
だからこそ、自分も含め女性には自信をもって歩んでほしい。やりたいことがあるなら素直に実行。掴みたい夢があるなら努力して勝ち取ればいい。前例がないなら作ればいい。とてもシンプルで簡単。
時間がかかるかもしれないけど、ゆっくり変えていこう。自分の人生のため、子供たちの未来のために。