私は学生の頃、わきまえない女になった。
そうなった原点の一つに、私が高校生の時にとても理不尽な環境下にいたことが関係している。母校のおよそ100年以上の伝統を誇る弓道部だ。
そこには違和感だらけのしきたりがあった。

男子の反発を受けながらの改革。100年のしきたりよ、さようなら!

当時、同期の部員は男子7名、女子2名。部活動は授業が終わったら、神棚の榊の水替え、道場の雑巾がけなどを先輩たちが来る前に女子二人でやっておかなければならなかった。
試合で遠征に行った時の昼食は、2人で弓道部員全員分の弁当を買ってくる。まず3年男子の先輩、次に3年女子の先輩……という順番で弁当を配り、同期の男子に弁当を配り終わったら、最後にやっと食事を許されていた。
だが、先輩の食後の弁当箱のごみ捨てをすぐにやらねばならず、落ち着く暇はなかった。
人数の多い同じ1年生の男子が掃除や、食事の準備を一緒にやってくれれば効率が良いのではないか?性別の違いだけで作業負担が女子だけに偏るのは異常だと感じていた。
でもその違和感を抱いていたのは私ただ一人だった。マジョリティー側のみんなはその方が楽だからそこに違和感を持たない。掃除も食事も1年女子がやってくれるから、だからそのままでいい……訳がない!

私は掃除の分担と食事の順番制の廃止を訴えた。もう一人の1年生の同期の女子は反感を買うことを恐れ、だんまりだった。同期の男子の反発に合い、私一人が嫌われ者になった。わきまえない女の誕生だ。

結局、部活顧問の理解もあり、私が2年生になった時に男女が共同で掃除、食事の準備をするように後輩に指導した。同年の男子の反発を食らいながらの改革だったが、およそ100年のしきたりよ、さようなら!だった。痛快でしかなかった。

「あれ?胸大きくなった?」セクハラは調査もされずなかったことに

しかし、大人になった私は今もわきまえない女を続けている。続けざるを得なかった。

「あれ?胸大きくなった?」
報道フロアですれ違いざまに気安く話しかけてくる男性記者。私は大手テレビ局で報道番組のディレクターの仕事に就いた。
この仕事で女性として社会で生きるのに、こんなにも理不尽と苦痛を感じることになるとは思っていなかった。男性率の高い、巨大組織では異性からの言葉の性的嫌がらせだけでなく、コンセンサスのない悪質な身体接触が多くあった。

私はわきまえない女。セクハラを上司に相談した。「そんな話、人事から聞いてない」という意味の分からない理由で相談は受付拒否された。人事と総務の女性管理職なら理解してもらえると思ったが、返答は更に私の心を凍てつかせた。
「彼らには〇〇〇(組織の名前)人生があるんですよ!?この件は友人にも家族にも話さないでください」と怒鳴られ、なんと調査もまともに行われずセクハラはなかったことにされた。

どんなに非難されても孤立しても私はわきまえない女でいる

それでも私はわきまえない女。局内で他に被害に遭った女性達に声をかけた。
隠し通せない複数の女性達の証言により、セクハラ相手は停職1カ月になった。でも、他の女性達はセクハラの事実は認めるが訴えないという形を取った。
訴えたのは私だけ。そして協力してくれた被害女性からは、人事の女性から私と口を聞くなという命令が下ったからごめんなさいと言われ、私は女性間でも孤立した。
それでも私はわきまえない女。今はジャーナリストの女性集団組織に所属し、どうすればこの女性の働きづらさをなくせるかをライフワークとして真剣に話し合い、勉強会を重ねている。

私がされたように性被害をなかったことにしてはいけない、人事の女性のように男性社会に過剰適応してはいけない。生まれた性別によって生きづらさをを感じるような社会にしてはいけない。どんなに非難されても孤立しても私はわきまえない。

弓道部のおよそ100年も続いた理不尽な伝統を1年でなくせたんだ!
私はわきまえない女だ!!