「やだぁ、いやーん寂しい、の一言くらい言えないもんかねぇ。“可愛げ”がないわよ」
職場の人が退職することになった際、「お疲れ様です」と声をかけた。そんな話をした際、母親に返されたのは、その一言だった。

私は前職を辞めた際は、「早く出て行け」「お前のかわりはいくらでもいる」を丁寧な言葉で何度も叩きつけられた。さようならもお世話になりましたも言えなかった。
職場を辞めた際の対応の中で、唯一前職場のよかったことは詮索されたり、必要以上に騒がれなかったこと。
精神が限界まできていた際に引き止められず、すんなりやめられたことだ。
元気なうちに、明るく「転職する」と言った職場の人を見て、「お疲れ様です」が一番疲れない、傷つかない、差し支えない言葉だと思ったゆえのものだった。
それを「もっとかわいく」とか、どの口が言うんじゃと思ってしまった。

かつては「可愛げ」がなければ生き残れない世界だったのかもしれない

少し前、親の世代、女性が躍進し、働くためにという言葉すらまだ駆け出しだった時代。
そう言われながら偉いとか、頑張り抜いてきたであろう女性たちは、可愛げがなければならなかったのかもしれない。
親会社をはじめ、私が見たことのある働く女性でキャリアのある方達は、なぜかお世辞を抜きにして、私からみればみんな揃いも揃って美しい。いわゆる「美少女戦士」が望まれた時代なのだと思う。
職場に入った際、親会社に勤める女性たちは皆、当時存在していたウエストのキュッとしたタイトスカートの制服が似合っていた。選択制だったので私はこの制服を拒否をしたが、要するにそんな感じの女性しかこれまでの社会では生き残れなかったんだなと思う。

現代になって多様なタイプが認められ、出現した今、
「あー、わかる、○○さん、男ウケしそうだもんね」
といった印象でうっかりするとまとめられそうな方々だ。いろんな人がいる世の中で、昔を生き延びることができた女性はそんな女の人が多い傾向だったんだなぁということに気がついた。

親会社に来訪した時に、「えー私わかんないからぁ」と綺麗に染まった髪を指先でいじりながら、語尾に小さな「あいうえお」をつけ、「〜」をつけ、「ハート」をつけて話す。スタイルが良くて顔がいいのも私のコンプレックスに火をつける。
この人たちが裏で努力をして、キャリアを積み、管理職についていることもふまえてしたたかすぎる。怖い。

私にとっては「苦手な女」だが、会社にとっては「いい女」

私にとっては「苦手な女」だが、会社にとっては「いい女」なのだろう。仕事も結婚も人生もほぼ丸もらって生きてんだろうな、と思う。
スタイル良くて可愛くて綺麗な方がいいよな。そんでもって男性のプライドを削がないタイプの女性。
きっと男性から見れば花丸、最高なんだろうな。
ニコニコして、明るくて元気な方が望ましいのは当然で、それが世の中で求められていた女性の姿であり、働く女性のスタンダードだった。
美しくあれ、朗らかであれ、おしゃれも頑張って元気に。それが「わきまえた」女性の姿だった。

「オッサンの油ぎった見た目が嫌」とか、最近では「スメハラ」のように、臭いにおいがハラスメント判定されることもある。「窓際族の社員」「仕事のできない社員」といって、大抵の人はまだまだ絵面の中で男を想像する世界だ。
動物としての特性上かもしれないが、女性が「油ぎった見た目」とか、「見てて不快」みたいな描写はあまり見ない。
生き残っている女性たちを見て思うのは、男性は多少の容姿の許容範囲みたいなものが、それこそ女性より広くて、「残ること」ができた。でも、女性は過ぎ去りし時代は「残れなかった」可能性があるのではないかと思う。

矢を浴び日陰へ去る時代から、嫌々でも光を浴びる時代へ

昔の「働く」女性は光を浴び、光の下で仕事をし、そこにある暗い影にアイシャドウをそっと落とし、セクハラ等に苦しみながら働き、嫌ならば涙を飲んでそっと「去る」ことができる時代だった。
「腰掛け」「寿退職」が主流の表現であったくらいである。容姿や出来に恵まれない女性は、多分早めに己に区切りをつけ、お見合いでもなんでもした上で結婚をするか、日陰にてダンゴムシのように生きるかだった。
よく、ママあるあるを描く漫画で「義両親の家にいる独身の何もできない義理の姉妹」みたいなのは、ギリギリ20代の私からしても「そんな人いるんだ」という感覚だが、昔はもっといたとみえる。

しかし、すでに矢面で矢を浴び尽くしている女性も表に出て働かねばならない時代がきている。
醜悪や出来高を理由に去ることを、多くの人ができなくなる。これは男女問わない人生の課題だろう。
ちょっと日の光を嫌々浴びる場面も出てきてしまう世の中になってしまっている。
暗くとも、社交性がしんどくても、媚びることができない容姿・性格でもどうにかして生きていかなくてはならない。

「ダンゴムシ」も日なたに残らざるを得ない世の中で、頑張ってみたい

ただ、昔と比べれば「かわいいなぁ」はセクハラ判定になった。
就職したら一生その職場で過ごせるわけでもない。逆に言ってしまえば嫌ならば探せる時代になった。
結婚しても働かなくてはいけないことも多く、過酷ではあるものの、世の中が変わってきた。
綺麗じゃなくても、「ちょうちょ」じゃなくても「働かざるを得ない」から、「ダンゴムシ」も日なたに残らざるを得ない。そんな状況になってきた。

私は暗くて辛気臭い、おしゃれも苦手。スタイルだって良くない。「わきまえられていない」女性の姿だ。
はっきりとした話し方も。濁った瞳も、人受けの悪さも、女としては「わきまえない」かもしれないが、去るわけにはいかない。
そのために。ちょっとだけ、私が働いているうちに、ダンゴムシのような女性でも、気にせず働きやすくなれるように、ちょっとだけ、わきまえずに頑張ってみたいなぁ。そう思う次第である。