お金を使うことは痛みである。
記憶しておきたいことに、お金を払う。
痛いものは、忘れない。
私が大学4年間の生活を通して、お金を消費しないために決めたルールである。

「首都圏」の県に住んでいても、東京での大学生活は驚くことばかり

東京の大学に入学してビックリしたことは、ブランド物のバッグや化粧品を、日用品として使う人がいっぱいいたことだ。
上京して一人暮らししたわけではない。東京都ではないけれど、「首都圏」に入る県には住んでいる。
県を跨ぐとこんなにも違うものなのか?
友人が渋谷にずっと住んでいたことを知り、地価を調べた5月の山手線をずっと覚えている。あんなに人がいる空間に人が住めたのか……。
東京の大学で友人を作ってビックリしたことは、皆当たり前に塾に行っていたことだ。
「塾は勉強が出来ない人が行くもので、無駄なお金を割くことなのよ」
それでも大学受験をするのに自習では足りないと思っていた。

大学費用は、バイト代から貯金した。
大学受験費用と塾代。受験費用に18万。塾代に20万。
高校生になってから、携帯代や部活の費用は自分持ちだった。
週6の部活をしながら、週3のアルバイト。
土曜日は午前中に部活に出て、夕方はファミレスにいた。
家から徒歩10分のファミレスで働いていた。
部活のないテスト期間は、バイトが出来る絶好の機会だった。

同級生とのギャップに衝撃を受けた後にやってきたのは浪費

浪人した、という人が心から羨ましかった。
生活の心配をせずに、勉学に励む時間を持てたことに感じたのだ。
地頭も足りないなりに、どうにか、学びたいことの学べる大学に行けた。
そこで感じた、同級生とのギャップ。衝撃だった。
子どもにお金をかけることは、恥でもなんでもないのか……。
定期代を払いながらも、自由に使える時間が増え、バイトに割ける時間が増えた。
あの子の生活が、欲しい。

次にやってきたのは浪費だったと今は思う。
やりたいことをやれたので、そんなに後悔してはない。
後悔はしない、巻き戻せないから。
これでよかったんだと思うことにしている。

洋服を買って、ライブに行って、大学生生活っぽいことをするなかで。
とにかくモノを買った。手に入れたかった。ひたすらに。
お金がない焦燥感に駆られながらお金を使っていた。
思い返すと、あれは痛みであった。

大学4年生のコロナ禍。お金を使わない、稼がない、そんな日々が2ヶ月。
部屋の中でモノに囲まれて、これは元々私が稼いだアルバイト代で買ったものだと気づいた。なんで買ったんだろうと思うものばかりだった。

お金は有限、欲望は無限。立ち止まったときに痛みの波がやってくる

大学入学時の、あの衝撃がやってきた。
そして、自分のためにだけお金を使っていたことに気づいた。
他の人にお金をかけるのが嫌になっていたことに気づいた。
手に入れても手に入れても、欲しいものはやってくる。
そのために犠牲にしたのは、一体何か。

お金だ。私の時間を換金したお金だ。
その時、痛みがやってきた。

お金は有限だけれど、欲望は無限にある。
欲望に沿ってお金を使っていたら、立ち止まったときにその痛みの波がやってくる。
無駄にしたな、というような取り返しのつかないことをしてしまった痛み。
底の暗い、重い痛み。

だから、決めた。
その痛みが来るなら、痛みを感じてもいいな、と思うことにだけお金を使おう。
痛い気持ちは尾を引く。
どうしてあんなものを買ってしまったんだろ、なんでノリであんなとこ行っちゃったんだろ。

私は私を積み重ねるものにしか、今はお金を使わない。
自分が大事だと思う人、思うことにだけお金を使う。
私が大事にできるのは、守っていけるのは無限ではないから。
その痛みを感じたくないな、と思った人には会わない。
お金を使う時と、お金を使う人を決めるようにした。

学生で、定職についているわけではないから、もしかしたら変わっていくのかもしれないけれど。
今のお金の使い方の基準は、そのずっと尾を引く痛みを、私が背負っていけるかどうか、にしている。