今のわたしは、仕事がなければ社会に発見されない。みつけてもらえないだろう。
なぜなら2年前から疫病が流行っていて、ひとりぐらしで、土日はほとんど外に出れなくて、友人関係も広くなくて、一番人間と接している場所がわたしにとって会社だからかもしれない。

会社のことをとても好きだと思えるまで、長い道のりがあった

今の会社のことはとても好きだ。この時代でこんなふうに思えるなんて恵まれているのかもしれない。とはいえ、そう思えるまでに長い道のりがあったように思う。

今でこそ3年目、経歴の中では最も長く在籍した会社になる。さすがにほとんどのメンバーが顔見知りで、どんなふうに接すればはやく仕事が進むか、仕事の回し方も覚え、ぬるま湯だと思えるくらいには居心地のいい職場になった。

入社当時、同僚でも上司でも誰が相手でも、チャットで1件メッセージを送信するために何度も推敲した。同い年のいわゆる同期もおらず、どんな立場で接すればいいのか参考にできるサンプルがなかった。
どんな言葉遣いなら迷惑にならないだろう。どんな返信スピードで、どんな内容の確かさで。出社しているときは、話しかけたほうがいいのかチャットのほうがいいのか。どの行動を起こすにも緊張して、勤務が終わるまで心臓に毛が生えていた。
1時間かけて電車に乗って、ひとり暮らしの暗い家に帰って爆睡した。夜ご飯をつくる気力はとてもじゃないけどない。そして朝。ギリギリの時間に起きて電車に飛び乗る。その1年目の地獄を味わう人は少なくないだろう。

今では社内でいちばん無邪気に笑っているような人間になっている

仕事内容も、とてもじゃないけどうまくこなせなかった。会社の人はみんな優しくしてくれていたけど、その優しさすら痛かった。
わたしが失敗したら、この優しさもだんだんなくなっていくんだろう。上司に認めてもらえるアイデアを出さなければ。同僚が褒められてるのにわたしは褒められない、という嫉妬。
今思えば新人のくせに大それた期待を自分に抱いているなあ、と客観視できるが、渦中にいるとなにが正しくてなにが正しくないのかわからないものだ。

会社の人と仲良くしたくても、自分の仕事内容に自信がないからうまく接することができない、というジレンマ。
こんなコンプレックスみたいな気持ち、もちろん社内の人には言えないし、友達にも恥ずかしくて言えない。「仕事はどうなの」「まあふつうだよ」。

それが、今では社内で一番無邪気に笑っているような人間になっている。会社の人と話すのが楽しみだし、あなたに任せればなんとかなる、なんて言われるようになった。この間は、はじめて後輩ができたんだよ。

「つまらないサラリーマンにはならない」という夢は叶ったみたい

どうしてこうなれたのか、根性論みたいで今の時代にはフィットしないけど、あきらめなかったからかなあ。愚直にやり続けたから。
あきらめたら、面接は苦手だしほかの会社にいける自信もなかったから。「仕事ができていない」という過剰な思い込みが外せたから。まぁあとは、どんな人間でも3年もやってればさすがにできるようになるみたい。

人生ってなにが起こるかわからない。学生の頃、つまらないサラリーマンになんて絶対になりたくないと思っていたわたし。社会で超有名な人になんてなってないし、唯一無二の人間になんてなってないけど、夢は叶ったみたいだね。
ここに辿り着くまでいろいろあるし、今のわたしになるまで時間がかかるけど、がんばって生きてね。決して生きるのやめときゃよかった、なんて人生にはなってないから。