「ここはあなたが少し大人になりなさい」
人生で何回聞いたんだろう、このセリフ。
私はこのセリフがちょっとこわい。
苦しみぬいた高校1年の夏、あの先生も同じようなことを言った
同じクラスの男子から来る深夜の無言電話と卑猥なメッセージに苦しみぬいた高校1年の夏、やっとの思いで相談したあの先生も、同じようなことを言っていた。
そうね、あなたいますごく辛い思いをしているのね。
でもね、こういうことは大人になる過程でよくあるの。白黒つけられないというか、一筋縄ではいかないことがこの世界にはたくさんあるのよ。
今までは入試問題みたいに正解がきちんとある状況が大部分だったと思うけど、これからは簡単に答えが出なかったり、ある種割り切って進むしかないことが増えていくの。
その男子も、あなたのことが好きという気持ちや、いろんな感情の葛藤でこういう行動に出ているんだと思う。あなたの気持ちはよくわかる。
ただ彼自身も子供と大人のはざまであなたと同じくらい、もしかしたらそれ以上に悩んでいるのよ、きっと。
この学校は偏差値が高いから、生徒も考える力のある、とてもいい子たちよ。だからここは「あなたが少し大人になって」、彼のしていることを許し、彼の成長を私と一緒に見守ってくれないかしら。
許して割り切ることで、あなたの気持ちも整理できるはずよ。
あの先生が大好きだった。だから勇気を振り絞ってドアをたたいたのに
あの先生が大好きだった。
50代に差し掛かった上品な女性で、鎖骨あたりまである髪は毛先までしっかりと手入れされていた。授業中にチョークや教科書を優しく手に取るときの、白く細い、それでいて骨ばってはいない指先が美しかった。感情をむき出しにすることは一切なくいつも穏やかな人だった。
彼女はその人格ゆえ担当教科の他に生徒相談も任されていて、いろんな子が相談に行っていた。
彼女のような大人になりたいと思っていた。
だから勇気を振り絞って生徒相談室のドアをたたいたのに、先生の言うことはよくわからなくて、ただ先生が守りたいのは男子(と学校)の体裁であって、私は助けてもらえないことと、ひとりでこの状況に耐えなきゃいけないことだけはわかった。
相談室を出た私はどうしようもなく打ちひしがれた。頼みの綱がぶつりと切れたというか、裏切られたような脱力感が身体にしつこくまとわりついていた。
その後、生徒指導の介入やらなんだかんだあり、無言電話やその他諸々は「解決」という形になって終わった。
でも男性への嫌悪と恐怖感、そして先生への憧れと悲しみと怒りは、社会人になった今でも心に突き刺さったままだ。
「大人にならないと」という言葉は、いつしか不条理から自分を守る特効薬に
「大人にならないと」
あれから成人式をとっくに通り過ぎて、いわゆる「大人」になったのに、この言葉は相変わらず私のこころに居座っている。
他の誰でもない、私自身が自分にそう言い聞かせるようになったから。
顧客からのセクハラ、なかなかうまくいかない人間関係、なぜか同期の男子より低い給与、変異を繰り返す未知のウイルス。
あの時先生が言っていた“割り切って進むしかない”問題は確かにあって、この言葉はそういう瞬間を振り切って前に進むための特効薬になった。
不条理と一緒に飲み込んで、自分を守るための薬。
あの先生もそうやって人生を歩んできたから、あの時、悲しみと恐怖と怒りでいっぱいだったわたしに「大人」になって諦めることを教えてくれたのかもしれない。いろんなことを飲み込んで、諦めた先に穏やかな自分を手に入れられるように。
でも私はちょっとこわい。「大人にならないと」という薬とともに不条理を飲み込み続けたら、どうなるんだろう。
先生、これで本当に私のこころは守られるんですか。
私のこころは、飲み込んできたたくさんの「大人」という言葉にじりじりと削り取られてなくなってしまいそうです。
あの時の先生の言葉は、私にとっての大人への入り口でした
今、私は懸命に「大人になる」以外の方法をたぐり寄せようとしている。それが不条理にNOと声をあげることなのか、こうしてひっそりと文章を紡いでいくことなのか、はたまたそれ以外の方法なのか、まだわからない。
わからないけど、とりあえず「大人」を飲み込まずに「わたし」と分離しておきたい。
そうしないと本来のわたしがどこかに行ってしまいそうになる。時間はかかるかもしれないけど探し続けることを諦めない。「わたし」のために。たったひとりのわたしが消えてしまわないために、「大人」は社会でぼちぼちやっていくための1つのツールにとどめたい。
わたしが自分で自分に「大丈夫だよ」って言ってあげて、守ってあげるんだ。
先生、お元気ですか。
あの時の先生の言葉は、私にとっての大人への入り口でした。先生のおかげで、今の私は先生みたいな大人になりたいとは思わなくなりました。
別の方法をさがしてみます。先生が間違ってるとかじゃなくて、私自身の方法を見つけたいのです。そういう風に考えられるようになったのは先生がいたからです。
先生、ありがとう。さようなら。