先生が死んだ。私が中学2年生の時のことだった。

当時、人気の先生がいた。彼はみんなから「イッシー」という愛称で呼ばれて親しまれていた。「宿題は忘れてもいいから、絶対に怪我だけはするな。無事に学校来いよー」と、いつも言っていた。不良生徒や不登校の生徒も絶対に見放さず、生徒の味方だった。

大抵の教師は注意し私をいないものとしたが、イッシーだけは違った

私は当時、学校が楽しくなかった。コミュニケーションを取るのが得意ではなく、友達もいない。授業も面白くないので、ノートに小説を書いていた。それを注意されるようになるといよいよやることがなく、ほとんどの時間を寝て過ごすようになった。

大抵の教師は私を注意し、しかし効果がないと悟ると、私をいないものとして扱った。私もそれを特に気にすることなく、ラッキーくらいに考えていた。

しかし、イッシーだけは違った。何度も何度も私を起こし、彼の受け持つ国語の授業に参加させた。「キョーちゃん、起きなー。ここ面白いぞ」そう言って私の前に教科書を開いた。仕方なしに授業を聞いているうちに、次第に面白いと思えるようになった。私の居眠りする時間は、徐々に減っていった。

あのまま寝てばかりいたら、恐らくどこにも進学できなかったと思う。国語の点数だけがメキメキ伸び、何とか高校に入れたのだ。今の私があるのは、イッシーのお陰だ。

無断欠勤したイッシーを心配し探したが、彼は静かに命を絶っていた

他にも、不良生徒はきちんと椅子に座って授業を受けるようになったし、不登校の生徒は保健室になら通えるようになった。クラスに馴染めていなかった生徒も、行事に積極的に参加するようになった。みんな先生が大好きだったし、先生も私たちのことが好きだったと思う。

これは大人になって分かる事だが、生徒のために惜しみなく残業し、相談に乗り、サポートしてくれるのは当たり前のことではない。心から相手を思っているかどうかは、受け手に必ず伝わるものだ。私を含め、先生に救われた生徒は多かっただろうと思う。

だが、誰も先生を救うことは出来なかった。突然無断欠勤した彼を、みんなが心配して探していた。やっと見つけた時、彼はひとり静かに命を絶っていた。

お通夜に出ても、誰もが現実を受け止められないでいた。みんな泣いて悲しんでいたが、私は何より腹立たしかった。なぜ、何も相談してくれなかったのか。「命を大切にしろ」と言いながら、なぜいなくなったのか。あまりに身勝手ではないか。そればかり考えていた。

先生が亡くなり10年経つが、教えてもらったことは私の糧となってる

人生で初めて絶望し、理不尽な出来事を飲み込めないでいた。考えても考えても答えが出ず、翌日の告別式には出られなかった。喪服を着て準備をしても玄関から出られず、何とか到着したときには全て終わったあとだった。

あの日から10年が経つ。風の噂で、当時先生は上層部と揉め、異動させられそうになっていたと聞いた。真相は分からないままだ。

でも、彼を恨んではいない。教えてもらったこと、楽しかった日々の思い出は確かに私の糧となって、今も生きている。告別式に出られなかったことは今も悔いているが、当時の私にはあまりに酷だった。先生には申し訳ないが、許して欲しいと思う。

いつか私が先生のところへ行ったら、愚痴のひとつは言うかもしれない。それでももう一度会って、またくだらない冗談を言って笑いたい。