2018年の7月に、「太陽の塔」の中にある「生命の樹」を、母と見に行ったことがある。
「太陽の塔」とは、1970年に開催された日本万国博覧会の展示の一つで、芸術家の岡本太郎の手によって手掛けられた。開催終了後はすぐに地下の展示も周囲に建てられていた展示館や大屋根も解体され、「太陽の塔」のみ残して「万博記念公園」と姿を変えた。
最近までは、塔の内部もほとんど手付かずのまま放置されていたそうだが、内部の耐震補強を行い、2018年3月から一般公開されるようになった。
岡本太郎の印象は激しく変わり、もっと知りたくて本を購入
それまで「岡本太郎」という人に、「『芸術は爆発だ』って言った人」といった印象しか抱いていなかったのだけれど、この日を境にその印象は激しく塗り替えられてしまった。そして「岡本太郎」という人について、もっと知りたいと思うようになった。翌日には書店に走り、彼の著作を3冊も購入してしまった。
1冊目は青春の記録が書かれた『芸術と青春』、2冊目は最も影響を受けた芸術家である「パブロ・ピカソ」について記された『青春ピカソ』。3冊目は世界中を旅して様々な芸術に触れて感じたことを記した『美の世界旅行』。
どの本でも彼は、知的で研究熱心で、行動力があって思慮深い。およそ50年前に作られたとは思えないほど前衛的な彼の作品は、様々な世界中の芸術を研究に研究を重ねた上で成り立っている、「研究の先にある表現」であるように思えた。
私は美術に対してあまり知識は持ってないし、技術的な観点から作品を鑑賞することはできないけれど、ヨーロッパにいるときには何かを追い求めるように、各地の美術館に足を運んでたくさんの作品を見た。
ゴッホもセザンヌもモネもルソーも、来日するときにはお祭り騒ぎになるような有名な芸術家の作品は見慣れるほど見たし、滅多に来日することのない近・現代の人の作品や、1600年代の聖書の絵画も、とにかくたくさん見て回った。すると感覚的に、美術史の流れというものが見えるようになった。
ピカソの作品を浴びるほど鑑賞。ピカソと岡本太郎のつながりを感じた
日本で開催される美術展は、有名な作品が一つで乗り込んで来ることが多いが、例えばアムステルダムのゴッホの美術館では、ゴッホの多数の作品が年代別に見られるし、またバーゼル美術館では、若かりし頃のパブロ・ピカソの作品を見つけることもあった。
ルツェルンの駅前には「ローゼンガルテン・コレクション」という、私設の美術館がある。そこにはローゼンガルト一族が長年収集していた美術作品が展示されており、その一階のコレクションの大部分が、パブロ・ピカソの作品だった。
日本ではあまりたくさん同時に見ることが叶わないピカソの作品であるが、私はそこで生まれて初めて、ピカソの作品を浴びるほど鑑賞した。そしてそこでピカソと岡本太郎とのつながりを、まじまじと感じられたのだ。
彼が初めてピカソの作品を見て衝撃を受け、「あれこそ、つきとめる道だ」と涙が止まらなかった、というエピソードを残しているように、彼はピカソから多大な影響を受けた。そして彼は涙の理由として「作品が私の生活と肉体に端的に染み入ってきたから」と述べていた。
岡本太郎に会って話し、たぎるようなエネルギーを感じてみたかった
私はピカソの作品を見て涙することはなかったし、あまりにも前衛的で独創的な表現に理解が追いつかず、匙を投げそうになる。そしてピカソの影響を受けた彼の作品もまた非常に難しいけれど、彼の作品はポップでなぜかずっと見ていたくなる。それは岡本太郎という人の持つ、「爆発的な明るさ」から来るのではないだろうか、と私は思う。
できることなら、彼に会って話を聞いてみたかった。きっと全身からエネルギーがたぎっているのが、そばにいるだけでわかるだろう。そして彼のエネルギーに触れたとき、きっと私は「芸術は爆発」であることを理解できるはずだ。