生きるため、お金のために働いている人も少なくない

お金に縛られている。
私たちはお金がないと生きていけない。食費や光熱費、所得税や住民税に年金……。生きているだけでどんどんお金が吸い取られていく。そのため、お金と私たちは切っても切り離せない関係だと言える。お金に縛られざるを得ない状況に陥っている。

ほしいものがあればバイトをする。家庭を支えるために家事をしながらパートで働く。裕福な生活をしたいからバリバリ働く。働くことに幸せを感じたり、名誉に思ったり生きがいを感じたりする人もいるが、生きるために、お金のために働いている人も少なくない。生きるためには必ずお金が必要だからだ。

私もその一人だ。初めは、なりたい仕事だった教員という職に就き、お金以上に仕事への強い熱意で働いていた。しかし、ハードワークで身体を壊し、月にかかるお金のうち医療費が一番高くなってしまったとき、仕事をなんのためにしているか見失ってしまった。
一度退職したものの、無職になるわけにはいかないと講師として働き始めた。でも、熱意というより、社会的に働かなければならない風潮があるからと、気持ちが移り変わっていった。

次第に働くことが窮屈になっていった。働いてお金を貯めなきゃならない。これから結婚、出産、養育に介護、さまざまな場面でお金が必要になっていくかもしれない。お金があって損はない。お金がなければ困るのは自分だ。いや、自分だけではない。自分の周りにも迷惑がかかる。私が何とかしなきゃ。そう思って働くと、どんどん荒んでいった。頭の中が働く意義よりもお金になってしまっていた。

お金との付き合い方を変えなければ。我慢だけではなく…

それに、私の働き方では大した額にはならない。教員は聞こえはいいが、サービス残業だらけの職だ。時給に換算すると百円玉数枚の世界。

いろいろ先のことを考えることがバカらしくなった。
自分の仕事への熱意が薄れていったことも、お金に支配されていることも、すごく悔しかった。
きっともっと稼げていたら、こんな惨めな思いはしないと。身体を壊さなければ、もっと職場環境がよかったら、もっと私にキャリアがあったらと、負の思考へ陥っていった。

だから、切れないならお金との付き合い方を変えなければならないと思った。
確かにお金がないと生きていけない。
でも、先のことは先のこと。過去のことは過去のこと。今のことは今のこと。
将来ばかり考えて貯金をすることは必要なことでもある。でも絶対なのか?無理に節約したり、買いたいものを我慢したり、縛られた生活を送らなければならないのか。
貯金がある程度あれば、我慢我慢の生活を送らなくてもやっていける。働いているなら、その分自分にご褒美をあげたっていい。

今が幸せならそれでいい。先のことはまたそのときに考えればいい

私はこれから自分にご褒美をあげる。
仕事の帰り、電車を使うはずの区間一駅分を歩く。健康的だし、190円分のお金が私のちょっとしたプラスになる。
今日はその190円で、何か好きなものを買おう。明日も歩いて帰れば380円得する。3日連続で歩けば570円も得だ。500円もあればモーニングに行けるし、気になっているスイーツだって買える。
そう考えると、一駅分を歩く時間はちょっとした幸せな時間となる。

別に大きな金額を得ようとか、先のことを考えなくってもいい。
とりあえず、今が幸せで、先のことはまたそのときに考えればいい。
だってこれから先のことなんてまだわからない。幸せはお金で買えるものもあればそうでないものもある。ちょっとした幸せは高くない。ちょっとした幸せはお金がなくても手に入ることだって多い。あぁ、ならお金に縛られてるなんて思わなくたっていいじゃない。
無理せず、ちょっとずつ私はお金に囚われず生きよう。
だから今日も足取り軽く30分歩いて、私へのご褒美を!