「ぬいぐるみをもって大人になれてよかったです!」
高校で講師をしていた時、兄に送ったメッセージだ。
私の手元のそばには、つい最近まで、ずっとぬいぐるみがいた。

カバンに、机上に、パスケースに。ぬいぐるみを持って大人になった

小さい頃から私はカバンにいつもぬいぐるみを忍ばせて生活していた。
小学生の頃、ランドセルの横にはなにかがついていた。
ランドセルを過ぎれば見つからないように、ほぼカバンの中にぬいぐるみがいたくらいである。
重たいたくさんの教科書と、荷物もろもろ。べつにバレはしなかったのだ。

「大学生になってもぬいぐるみ連れ歩くの?」
そう心配されたが、大学はぬいぐるみがあって怒られることはなかった。
講義にかなりの頻度でぬいぐるみも一緒に登校できた。

「社会人になったときどうすんの?」
次に出たこの疑問に対する就活、社会人の回避の方法としても、カバンに仕込むことで解決させた。

その後、私は教師という仕事を選んだ。
教師時代は「机上にぬいぐるみを置く」というなんとも珍妙なスタイルをとっていた。
生徒がこっちに顔と名前と親しみをもってくれる。
さらに授業外はぬいぐるみタイプのパスケースを利用する方法で乗り切っていた。
電子マネーやクレカを入れておけば、お財布みたいなものだと言い張りながら合法的に連れ歩くことができる。
「いつもなんか連れてる」と言われながら、好きあらば私は何かをもふもふしていた。

旅行の時もぬいぐるみたちは同伴した。試験を、海外旅行を、文字通り苦楽ををともに渡ったぬいぐるみたち。
それくらい私の中でぬいぐるみたちのウェイトは高かった。

「ぬいぐるみを持って大人になれた」

子供の気持ちがわかる、好きなものを捨てない、そんなさみしい大人にはならずに済んだのだと当時の私は図々しく思い込んでいた。

教師を退職後、会社員に。変わっていくぬいぐるみとの距離感

そんな矢先、3年半教師をやっていた私は、うつ病で教員を辞めた。
部屋に引きこもって、泣きながらぬいぐるみと過ごした。が、途中で倒れた私にとって子供を連想させるコンテンツは涙を引き起こしてしまう。アニメもゲームも全部涙が出た。そのため人生で初めてぬいぐるみたちと私の中で距離が生まれた。

あれだけ抱っこして鞄に入れていた相棒たちと「ちょっとごめんね」と距離を置くようになった。

その後、私は社会復帰した。こんどは「会社員」としてである。
最初の頃、私は案の定ぬいぐるみのパスケースを連れて出勤していた。
最初こそぬいぐるみを連れて歩いていたものの、普通に働くとなると、教員や学生と違い、会社員は割と人といることも多いが、思いのほか「注目されない」世界だった。
加えて、みなさんが私の境遇も踏まえて優しかったのもある。
なんのお咎めもされなかった。

だんだん、というか自然に、義務感のようにぬいぐるみを欲しなくなった。
唯一ぬいぐるみが欲しくなった瞬間は、職場のグループ全体の集合研修だ。
このとき、私が不安をぬいぐるみで紛らわせていたのは「周囲の視線」や「物音」だったことに気づいた。

私は「ぬいぐるみを持って大人になった」というより
物音や視線がしんどくて、それを紛らわすためにぬいぐるみを持っていたことに気づいた。

静かになった空気。大人になった私は、シンプルなパスケースを買った

学校という環境では常に誰かの、子供たちの声が響いていた。
今思えば不安障害みたいなものだったのだろう。

思いのほか、自分が子供だったんだな、とほんの少し前の自分に対して思ってしまった。
と、同時に、賑やかな空気も、大きな物音も苦手なのに、無理させちゃったなと申し訳なくも思った。

静かになった空気の途端。研修を終えて、息を吐くと、パスケースを買って帰った。

こんどは、ぬいぐるみではない、シンプルなものを選んだ。
帰ろう。今は静かな大人の世界が、私を待っている。私はまだまだ子供かもしれないが、前よりは子供じゃない。

それから1年はあっという間だった。仕事を覚えるのに必死だった傍ら、社会人大学院も卒業した。
ちゃんと予定をたてて休暇をとれば、休むことに罪悪感をもたなくていいことも学んだ。有給を使うことも、有給を使って友達と遊べるようにもなった。
やってみたかったおしゃれをした。穏やかな恋愛に恵まれた。世界は確実に広がっていった。

ぬいぐるみたちとのおでかけは、たまにというものになった。
子供との距離を、さらに、最初の大人になりたての教師をしていた時の自分との距離を感じた。

子供の世界規模のまま大人になった私。世界はこれだけじゃないから

現在、人の区分は大人と子供の2つではあるが、子供にも思春期とか、成長期とか、反抗期とか、そういうものがあるように、大人もそういうものがあるのではないかと思う。

アゲハ蝶の幼虫は蝶々になるまでに、幼虫で4回ほど脱皮する。同じ幼虫でも、最初は黒と白の姿。それを数回ふまえて緑色の芋虫になる。そして蛹になって蝶になる。

大人にも似たようなことが言えるのではないだろうかと思う。変わらないといえど、今の自分とちょっと前の自分は同じ「幼虫」でも体感として体の色が違う気がする。私は2回〜3回くらい、明らかに大人として入れ替わりというか、脱皮をしている気がする。

子供の頃は、世界が本当に小さかった。それこそ「親」と「友達」、「学校」と「勉強」と私の場合は大きなウェイトで「ぬいぐるみ」がいて、おおきなカバンにつめていたのかもしれない。職業柄もあるかもしれないが、どうやら私は子供の世界規模のまま大人になってしまっていたのではないかと当時を振り返って思う。

悩める子供たちには、世界はこれだけじゃないから、と言いたい。

今の私はぬいぐるみや教材を連れ歩く大きな鞄で出かけてはいない。荷物も少ない。小さな鞄に、スマホと財布、電子辞書が入ってる程度だ。
けれど、行き先がたくさんある。会いたい人がたくさんいる。見たいものがたくさんある。

「行ってくるね」

そう、苦楽を共にした相棒どもに声をかけて私は大人になった。
大人になって知れることは、まだまだたくさんだ。