この春、新しい家が建つ。
理想をめいっぱいに詰め込んだ、わたしたちの家。指折り数えて春を待つ今日のわたしが今、あの頃のわたしに会えるのなら、思いきり抱きしめて、思いきりわたしの胸のなかで泣いて欲しい。
そう、もし今、10年前のわたしに会えたなら。
合格発表の日、長く暗いトンネルは、まるで自分の心みたいに思えた
18歳もおわりに向かう3月、わたしは電車の中にいた。人気のない電車が走る、長く暗いトンネルのなかは、まるで自分の心のなかみたいに思えた。
春生まれのわたしが、こんなにも春を憎く思ったのは、後にも先にもこの時だけだった。
行きたかった大学の合格発表の日、わたしの番号だけを吹き飛ばすかのように、合格というものは希望と一緒に消えてなくなってしまった。
周りがみんな、自分で手にした進路に向かって歩みを進み始めるなか、わたしはひとり、首をもたげて足元を見ているままだった。
どんなことにも意味がある、といつも前向きな父と母は、わたしの道を明るく照らそうと懸命に背中をさすってくれた。
どうしたものか、それが、それが本当につらくて、謝るのも苦しくて、情けなくて、わたしなら大丈夫、の言葉でなんとか涙をこらえた。
世の中には、わたしよりももっともっと努力したのに報われなかった人もいる、わたしよりももっと悲しい思いをした人もいる。そしてそのことを比べること自体、間違っている。
どれもこれもわかっている。わかっているけど、父と母の顔を思うと、込み上げる涙を堪えることだけが今、自分にとって出来る限りのことに思えた。
予備校探しの帰り道、誰もいない車両の、いちばん端の席に座ったわたしは、ぼんやりと窓の外を見ながら、父からきたメールを何度も何度も読み返し、うつむいてひとり泣いた。
ありがとう、ごめんね、ありがとう、ごめんねと、こころの中で何度も何度も呟いた。
あの頃の私に会えたら冷たく弱った手を握り、そしてお礼を言いたい
ひとりで隠れて泣いたあの日を越えて今、わたしは29歳になった。
夢にまで見たキャンパスライフは、想像していたよりもずっと目まぐるしく、ささやかな日常が本当に輝いて見えた。
息するように時は流れて、あっという間に社会人になって、いつのまにかかけがえのない人と出会って、なんとも自然に結婚した。
あの頃、夢だった教師にはならなかった。
あの頃、思い描いていた関西弁の彼とはまったく違う、関東生まれの人が旦那になった。
だけど、毎日どうしようもなく平凡な日々を、穏やかに笑いながら過ごしている。
だからこそ、あの頃のわたしに会えたなら、わたしはわたしの隣に座って、冷たく弱った手を握ってやりたい。
誰もあなたを、駄目なんて思っていない。
誰もあなたを、情けないなんて思っていない。
誰もあなたを、仲間はずれになんかしていない。
いい、こらえなくていい。
思い切り声をあげて、たっぷり泣いていいのだから。
悲しいことはもちろん悲しい、落ち込むことはなんにも悪いことじゃない。そしてあなたが大好きな親はいつも言っていたでしょう、「どんなことにも意味がある」と。
10年後のわたしを、あの頃のわたしは、呑気な人と笑うだろうか。
呆れながらも、笑って見てくれているだろうか。
会いたいな。
会ったらちゃんと、お礼を言おう。
あの頃、感謝の気持ちを忘れず前を向いてくれてありがとう。
あの頃、与えられた意味をしっかり受け止めてくれてありがとう。
あの頃、もう一度未来を思い描いてくれて、ありがとう。
そう、ちゃんと自分の歩幅で歩もうと決めてくれた、あなたに会えたなら。