私は、お金を使うことが下手だと自覚している。浪費という意味ではなく、そもそもお金を使えないのだ。
節約と言えば聞こえが良いが、そうではない。守銭奴と思われるかもしれないが、貯金に執着しているわけでもない。そもそも、財布の紐が堅い割に貯金、あんまり増えないし。

自分にかかるお金を少しでも抑えるため、慎ましく暮らしている

例えば、日々の食料。一番安いブレンド米と割引シールが貼られた肉魚。安い納豆は神。野菜は高いから、特売のものだけ。一人暮らしならそれを咎める人もいない。お昼は出来るだけお弁当を作る。いや、語弊がある、海苔なしのおにぎりをふたつ作るだけだ。
服なんて、新品を買ったのはリクルートスーツが最後かもしれない。今はフリマアプリが充実していて、とても便利だ。サイズに気をつければ、靴だって安く買える。
趣味もなく、せいぜい布の端切れから小物をハンドメイドするくらい。よくできた物なら売れるのも良い。あとは小説や漫画を読むこととか。図書館と古本屋には足を向けて眠れない。
新卒の手取り16万円。家賃5万円と食費や光熱費、その他もろもろを支払うと数万円残る。これは帰省の新幹線代や突然の病気のために貯めておく。

こうして言葉を並べれば、それなりに慎ましく暮らしていると感じるだろう。しかし、結果的にこうなっただけで、過程には強迫観念じみたものがある。
自分にかかるお金を少しでも抑えるために労力を惜しまない。例えば、100円安いお米を求めて20分離れたスーパーへ行ったり。100円のためにわざわざ、5キロの荷物を持ってえっちらおっちら帰るなんて。近所で買った方が生活の質が上がる。分かっているけど、できなかった。

我が家にはお金がないと思い込み、間違った方向への気遣いをするように

多分、これの始まりは小学生のとき。我が家にはお金がないのでは、と思ったことが原因だろう。現実には大学まで行かせてもらうくらいに、貧しいとは無縁であったが。

小学校の授業で、親の仕事を聞いてこよう、みたいな宿題があった。それをクラスメイトの何人かが発表したのだが、両親共に働いているという内容ばかり。
比べて私の家は、母が専業主婦。働く人が一人しかいないなら、お金が少ないのでは、と私は短絡的に思い込んだ。
そして、間違った方向への気遣いをするようになった。家族で外食へ行ったときは一番安いのを頼むとか。「これを買ってあげる」と言われたら、反射的に遠慮するとか。何年も続ける内に、お金は使ってはいけないものと骨の髄まで染み込んでしまった。

感覚が少しずつまともになっていったが、専業主婦になりまた戻った

自分で生活を成り立たせるようになって。大人になった私は己の歪みをようやく認識し、普通に暮らそうと意識している。
美味しいものを食べて良い。気に入ったのなら服も本も、新品で買って良い。分相応な暮らしを目標に。
今までが低すぎたのだから。他ならない自分の人生がせせこましいだけで終わるなんて、もったいないじゃないか。感覚が少しずつまともになっていった。退職するまでは。

出産を機に仕事をやめ、専業主婦になった。自分でお金を稼がなくなり、分相応が高望みに感じるように戻ってしまった。
家族のためなら、新鮮な国産の食べ物とか、しっかりした生地の服とか、なんの引っかかりもなく買える。それがひとたび自分へとなると、とてもハードルが高くなる。
三つ子の魂百まで。一生付き纏う気がしてならない。でも下手なりに、上手にお金と付き合っていきたい。