大学に進学し、上京して一人暮らしを始めた途端、金遣いが荒くなった。母から十分な額の仕送りを貰っているにもかかわらず、月末になると毎度のように「来月分の仕送りから少し今月に回してくれないか」と懇願する。

コロナ禍で外出が憚られる中、実家の制約から解放された私は、文明の利器を駆使して消費活動に明け暮れている。服も日用品も、今夜の食事さえも、スマートフォンに表示されたボタンをタップするだけで買うことができる。
皮肉なことに、気楽に外に出られない今の状況こそ、一番金遣いの荒くなる条件が整っているのだ。

そんな私に前々からうんざりしていた母が、遂に昨年の十一月末、来月分の仕送りを今月に回してくれなくなった。その月末には親友とテーマパークに行く約束をしていて、楽しみにしている彼女を見ると断ることはできそうになかった。
お金がないと焦っていたときふと、絶対に使うまいと棚の奥底にしまっておいた一万円札のことが頭に浮かんだ。

亡き祖母が誕生日にくれた1万円。形見としていつも持ち歩いていた

棚の奥から例の一万円札を取り出す。小さな封筒に入っていて、音符が描かれた丸いシールで封がされている。
表面には「れびちゃんへ、お誕生日おめでとう」の文字。
これは祖母が三年前の誕生日にくれた一万円札である。当時欲しいものがなかった私はこれを封筒ごと財布に入れたままにしていた。

その二か月後、祖母は急死した。おばあちゃん子だった私にとってその出来事は耐え難いものだった。
祖母が眠る病室の冷たい空気、泣き叫ぶ祖父や母の声、どんどん冷たく硬くなっていく祖母の手など当時の様々な情景がフラッシュバックして夜は眠れなくなり、食事が喉を通らなくなるなど日常生活に支障をきたしていた。
亡くした祖母を少しでも近くに感じられるように、彼女が編んだ手袋とともに、その一万円札は形見として肩身離さず持ち歩いていた。
しかし一人暮らしを始めてからは、悪化していた精神状態を改善するために祖母から距離を置こうと思い、一万円札は棚にしまっておいたのだ。

絶対に使わないと心に決めたこの一万円札を使う以外に、十一月を乗り切る術はなかった。私は決心をして、泣きながら一万円札を使っていった。
祖母は生前、「欲しいものがあったらこれで買いなさい」と私に伝えた。その言葉通り、まずは親友とテーマパークへ行くための費用にしようと決めた。苦渋の決断だった。

その親友には、他界した祖母が生前私にくれた一万円札を使ってテーマパークに行くことを伝えた。すると、
「私との時間にそんな大切なお金を使ってくれて光栄だよ。楽しい思い出にしようね」
と彼女は言った。使うことを否定されなかったことに驚いたが、私の判断を肯定してくれた親友の言葉には涙が出た。

1万円を使い切った後の喪失感。しかし、後悔の気持ちはなかった

その後も一万円札の残金は生活費等にあてられ、遂にすべてを使い切ってしまった。すべてを使った直後は大切なものを失った喪失感で胸が張り裂けそうであった。
しばらくはその状態が続いたが、驚いたことに後悔の気持ちは全くなかった。寧ろ、祖母が他界したという事実を受け入れ、心の整理ができるようになった。ただ、一万円札が入っていた封筒だけは、なんとしても手元に置いておこうと決めた。

後日、地方に住む元気な祖父から手紙が届いた。封筒を開けると、簡潔な文章が書かれた便箋に一万円札が添えられていた。
これを使うかどうかを、私はまた迷っている。