私が母と喧嘩になるたび、悲しそうな表情をしていた父

社会人3年目、私は父に1通の手紙を書いていた。

私は現在、一人暮らしをしているが、実家にいた学生時代は母親とうまくいかず、家の空気を悪くしてしまう子供であった。さらには学校でも友達付き合いがうまくできず、学校に行けない日すらあった。こんな自分が将来まともな大人になれるはずがない、と絶望していた。

父は家庭を第一にする人で、幼い頃は休みの日に遊びや旅行に連れて行ってくれた。私が悩んでいるときは話を聞き、一緒に悩んでくれた。
そんな優しい父だからこそ、私が母と喧嘩になるたび、悲しそうな表情をしていた。明るい家庭を作りたい父に申し訳ないと思い、また落ち込む日々だった。

高校生の頃、一度父の会社が倒産した。一時期はお小遣いがもらえなくなってしまったこともあったが、私はさほど不自由せず、大学まで通わせてもらった。

毎日へとへと。幼い頃、子供の相手をしてくれた父には感謝しかない

大学卒業と同時に私は家を出た。引越し当日に父は私を呼び、「お母さんには内緒ね」と封筒を差し出した。新居で封筒を開けてみると1万円札が何枚も出てきた。恐らく父が自由に使える限られたお金だった。
携帯で「ごめんね、働いて返すね」とメッセージを送ると、「返さなくて大丈夫、社会人頑張って」と返信が来た。父がどこまでも優しくて、静かな一人きりの部屋でその日は泣いてしまった。

それからはお金を稼ぐことの大変さを痛感した。それでも私は先輩や後輩など、上下のはっきりしている人間関係が苦にならないことに気付いた。職場に恵まれたことも大きい。
一生懸命に取り組む姿を評価してくれる先輩や、そんな姿を見て慕ってくれる後輩、最初は自分が過大評価されているのではと戸惑ったが、少しずつ自分を認められるようになった。学生時代は「点数が良くないと評価されない」と思っていたが、社会が実績の他に意外と人間性を見てくれることに驚いた。

今でも傷つきやすく、落ち込みやすいが、それでも「私であること」が力になれている実感がある分、学生時代より居心地が良い。

しかし、毎日へとへとである。幼い頃、父は仕事で疲れていたであろうに休日に車を運転し、子供の相手をしてくれたと思うと感謝しかない。
さらに毎年の父の日と父の誕生日には、父の好きなものが分からなかった。父は自分のための時間とお金がなかったのではないかと落ち込み、早くお金を返そうと思い続けていた。

実家で、いつの間にか不安なことや悩んでいることも話していた

そして3年目にしてようやく返せるだけのお金を用意することができた。
ただの借金返済ではない、伝えたいことがある。そこで父に手紙を書くことにした。

「お金ありがとう。返さなくていいって言ってたけど、返させてください」
「今までずっと、心配かけてごめんね。うまくやっていけそうだから大丈夫」
「私のことをたくさん考えてくれたから、自分のために時間とお金を使って欲しい」

何度も書き直したが、納得いくものはできなかった。
純粋な「ありがとう」と強がりでない「大丈夫」は、どうしたら伝わるのだろう。
納得のいっていない手紙をお金と一緒に封筒に入れ、実家に持っていった。

実家で父に、仕事や、習い事、友達のことなどたくさん話をした。
「今の私はすごく楽しい」ということを伝えたかったが、いつの間にか不安なことや悩んでいることも話していた。話しながら「また心配かけてしまうな」と思った。
しかし父は、「それだけ悩んで考えているからこそ、周りに評価されているんだね」「抱え込みすぎないでね。またいつでも家にご飯食べにおいで」と言ってくれた。

親子である以上、父はこれからも心配しながら見守ってくれるだろう

その時、私は手紙の内容が間違っていると思った。父にお金を返す直前、そっと封筒から手紙を引き抜いた。父に封筒を渡し、口頭で「ありがとう」を伝えた。

実家にいた頃の22年間分の心配をたった2年で「もう大丈夫」にはできないし、親子である以上、父はこれからも心配しながら見守ってくれるだろう。
それなら私が伝えるべきは「もう心配しなくて大丈夫」ではないと思った。

次に会うときは、父の好きなものを聞こう。好きな食べ物を聞いて、食事に行こう。
行ってみたい場所を聞いて、コロナが収束したら旅行に連れて行ってあげよう。
父だけでない、離れて暮らして大好きになれた母にも喜んでもらえるように。
今からでもあたたかい家族でずっといられるように、出せなかった手紙に誓った。